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奇談クラブ〔戦後版〕
きだんクラブ〔せんごばん〕 |
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作品ID | 56125 |
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副題 | 17 白髪の恋 17 はくはつのこい |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「野村胡堂伝奇幻想小説集成」 作品社 2009(平成21)年6月30日 |
初出 | 「サロン 特選小説集別冊一輯」1948(昭和23)年3月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2015-04-20 / 2015-03-08 |
長さの目安 | 約 24 ページ(500字/頁で計算) |
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プロローグ
吉井明子夫人を会長とする奇談クラブの席上で、話の選手に指名された近江愛之助は、斯んな調子で語り始めるのでした。
「これは決して世間並の奇談ではありません。話の中には妖怪変化が出て来るわけでもなく、常識を超越した不思議な事件が起るわけでもないのです。ただ併し、私はその様な道具立のおどろおどろしき物語よりも、此世の中には、もっともっと不思議な事件があるような気がしてならないのです。それは、人の心の不思議と申しましょうか、正しくは人の心の不思議な動きと申す方が宜しいかもわかりません。兎にも角にも亜剌比亜物語や十日物語の昔から、この世の中には幾十万とも知れぬ物語が生まれましたが、この物語の数を百倍しても、窮め尽くせないのは人の心の種々相とその動き方の端睨すべからざる多様性であります。私が此処で御披露しようというのも、その人の心の秘密の、ほんのささやかな一つの現れとでも申しましょうか――」
近江愛之助は真白になった毛を撫で上げながら、青白い神経質な顔に、ほのかな微笑を浮かべて続けました。もう六十歳を幾つか越した年輩でしょうが、何んとなく智的な若々しい感じのする老紳士です。
例の柔かい間接光線に照らされた会場、言い知れぬ香料の匂う裡に、その夜の会員はそこそこ、吉井明子夫人や幹事の今八郎を中心に、老ディレッタントの話に耳を傾けます。
「――人の心の不思議は、この地球の上に人類の住んでいる限り、解き尽すことの出来ない素晴しい謎でしょう。どうかしたら、地球は老いさらばい、その上に住む幾十億の人間は、殆んど死に尽してしまって、最後に男と女とたった二人だけ、生き残ったとしても、お互に解くことの出来ない心の謎に、苦しみ合わなければなるまいと思います」
一
――さて、私の申し上げるのは、絶対に真当の話で、嘘も偽りも、話術的な技巧も加えては居りませんが、そんな馬鹿なことが――と仰しゃる方があるかも知れませんので、本題に入る前に、これによく似た例で、歴史的に有名な話を一つ紹介して置き度いと存じます。
エクトル・ベルリオーズ、この名は皆様よく御存じですね。一八〇三年フランスの生んだ革命的な音楽家で、その作曲者としての、歴史的地位は、ベートーヴェンを承けてワーグナーに先駆し、「幻想交響曲」や「ファウストの劫罰」を作って近代音楽の基礎を築き上げた、最も偉大な天才ですが、この人は恐ろしく弱気で無鉄砲で情熱家で、十二歳の時早くも自分より六つも年上のエステルという「大きな眼を持った、薔薇色の靴をはいた」少女に恋し、その記憶を情熱を六十歳を越した後までも持ち続け、七十歳近くなって幾人かの孫のある老婆エステルを必死になって愛そうとし、パリの往来の石の上に坐ってさめざめと泣いたということであります。そして、「若し彼女に手紙を出すことを許されなかったら、そして時々彼女が手紙をくれ…