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![]() しんしゅうてんまきょう |
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作品ID | 56145 |
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著者 | 吉川 英治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「神州天馬侠(一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社 1989(平成元)年12月11日 「神州天馬侠(三)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社 1990(平成2)年1月11日 |
初出 | 「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | トレンドイースト |
公開 / 更新 | 2017-12-31 / 2017-11-24 |
長さの目安 | 約 1049 ページ(500字/頁で計算) |
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序
私は、元来、少年小説を書くのが好きである。大人の世界にあるような、きゅうくつな概念にとらわれないでいいからだ。
少年小説を書いている間は、自分もまったく、童心のむかしに返る、少年の気もちになりきッてしまう。――今のわたくしは、もう古い大人だが、この天馬侠を読み直し、校訂の筆を入れていると、そのあいだにも、少年の日が胸によみがえッてくる。
ああ少年の日。一生のうちの、尊い季節だ。この小説は、わたくしが少年へ書いた長編の最初のもので、また、いちばん長いものである。諸君の楽しい季節のために、この書が諸君の退屈な雨の日や、淋しい夜の友になりうればと思い、自分も好きなまま、つい、こんなに長く書いてしまったものである。
いまの日本は、大人の世界でも、子どもの天地でも、心に楽しむものが少ない。だが、少年の日の夢は、痩せさせてはいけない。少年の日の自然な空想は、いわば少年の花園だ。昔にも、今にも、将来へも、つばさをひろげて、遊びまわるべきである。
この書は、過去の伝奇と歴史とを、わたくしの夢のまま書いたものだが、過去にも、今と比較して、考えていいところは多分にある。悪いところは反省し、よいところは知るべきだと思う。その意味で、鞍馬の竹童も、泣き虫の蛾次郎も、諸君の友だち仲間へ入れておいてくれ給え。時代はちがうが、よく見てみたまえ、諸君の友だち仲間の腕白にも、竹童もいれば、蛾次郎もいるだろう。大人についても、同じことがいえる。
以前、これが「少年倶楽部」に連載されていた当時の愛読者は、成人して、今日では政治家になったり、実業家になったり、文化人になったりして、みな社会の一線に立っている。諸君のお父さんや兄さんのうちにも、その頃の愛読者がたくさんおられることと思う。
わたくしはよくそういう人たちから、少年時代、天馬侠の愛読者でした――と聞かされて、年月の流れに、おどろくことがある。もし諸君がこの書を手にしたら、諸君の父兄やおじさんたちにも、見せて上げてもらいたい。そして、著者の言伝てを、おつたえして欲しい。
――ご健在ですか。わたくしは健在です、と。
そして、いまの少年も、また天馬侠を読むようになりました、と。
昭和二四・春
著者
[#改丁]
武田伊那丸
一
そよ風のうごくたびに、むらさきの波、しろい波、――恵林寺うらの藤の花が、今をさかりな、ゆく春のひるである。
朱の椅子によって、しずかな藤波へ、目をふさいでいた快川和尚は、ふと、風のたえまに流れてくる、法螺の遠音や陣鉦のひびきに、ふっさりした銀の眉毛をかすかにあげた。
その時、長廊下をどたどたと、かけまろんできたひとりの弟子は、まっさおな面をぺたりと、そこへ伏せて、
「おッ。お師さま! た、大変なことになりました。あアおそろしい、……一大事でござります」
と舌をわな…