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作品ID56149
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「幻影城 9月号(第2巻・第10号)」 幻影城
1976(昭和51)年9月1日
初出「新青年」1923(大正12)年1月増刊号
入力者sogo
校正者ノワール
公開 / 更新2019-05-25 / 2022-10-09
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その日、私はかなり遅くまで仕事をやった。そしてやっと書物机から眼をあけた[#「眼をあけた」はママ]ときは、もう黄昏の仄暗さが書斎に迫ってきていた。私はそのままで数分間、じっとしていた。非常に根気をつめた仕事の後なので、頭がぼうっと疲れて、ただ機械的に四辺を見廻した。
 仄かに薄れゆく光線に包まれて、あらゆるものが灰色に、不確実に見えたが、夕陽の最後の照りかえしで、卓子と、鏡面と、壁にかけた油絵だけが、明るい斑点でも置いたように画然と光っていた。それからもう一つの斑点が、特別な強度をもって、書架の上に飾ってあった一個の骸骨のあたりを、明々と染めていた。私はふと顔を擡げると、その頬骨の尖端から顎骨の不気味な角度にかけて、あらゆる細部が瞭然と眼に映った。すべてのものが暮れ足の早い蔭影に呑まれて行くのに、独りこの骸骨だけは、徐々と、確実に生命を喚びかえして、看る看る肉が付いていくようであった。歯のところに、唇が蔽さった。眼窩に眼球が据わった。やがて不思議な幻覚の力によって、暗がりの中に薄ぼんやりと、私の方を見守っている一つの顔が浮び出した。
 その顔は、皮肉な微笑に口元を歪めながら、じっと私を睥睨みつけた。それは我々が妄想の裡に見る漠然たる面影とはちがって、あまりに顕然と、まるで現実の人を見るようなので、私は思わず手を伸べてそれに触ろうとした。と、忽然頬肉が落ちて、眼窩は空洞となって、――薄い霧のようなものがふんわりとその顔を押し包んだ……と思うと、それはやはり一個の骸骨に過ぎないのであった。他の骸骨と些しも異るところがなかった。
 私は燈火を点けて、また書き物をつづけた。何だか気になるので、変化を見た場所を二三度覗くようにしたが、いつの間にかその些細な興奮も消え、すべてを忘れて仕事に没頭していた。
 それから四五日経って、私は外出したが、家の前で出合がしらに、一人の青年と擦れちがった。青年は路傍へ寄って私を通してくれた。私は会釈した。青年も同じように会釈をかえしながら行き過ぎた。が、何だか見覚えのある顔だ、知った人にちがいない、きっと先方でも立ち止まって私を見ているだろう、そう思って背後をふりかえったが、青年は知らん顔でグングン歩いて行った。それでも私はじっと立ち止まって、彼が人込の中へかくれて見えなくなるまで、その後ろ影を見送った。
「ナンダ馬鹿馬鹿しい、見違えたんだ」と思ったが、その後からすぐにまた心に問うた。「どこだっけ、あの男に会ったのは? ……何家かの客間でか? ……それとも病院であったか? ……うちの診察室か?」
 いや、直接に会ったのではないようだが、知人の誰かに似ていたから間違えたんだ。こう決めてしまって、そのことは頭から遠ざけた。いや努めて遠ざけるようにした――というのは、いくら忘れようとしても、内実はしきりにそれが気になるからであった。
 だ…

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