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寡作流行作家
かさくりゅうこうさっか
作品ID56178
著者平野 零児
文字遣い新字新仮名
底本 「平野零児随想集 らいちゃん」 平野零児遺稿刊行会
1962(昭和37)年11月1日
入力者坂本真一
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-08-26 / 2023-08-15
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昨年の晩秋、福井ラジオの営業局長をしている池田左内君が上京のついでに、私の陋居を訪ねて来た。昔上智大学の新聞科で教壇というよりも、主として附近のオデン屋や、新宿の酒場え[#「酒場え」はママ]連れて行き、三、四の学生に他愛のない放談を聞かせただけだったが、彼はそのことで今に私を先生と呼び、教え子だったとしている一人であり、絶えず師の礼をとり、時々越前ガニや、ツグミやウニを送ってくる妙な男である。
 戦争が苛烈になって、麻布の家が強制疎開をされると、私の女房の疎開をすすめ、土地の素封家である彼の郷里福井の家え[#「家え」はママ]預ってくれもした。
「先生、その額は面白いですな。誰の字ですか。正気の字じゃないけど」
 彼は私の食堂にかけている、可なり大きな額を見乍ら焼酎のコップを舐めた。額には勢いはいいが、漫画とも童画ともつかぬ、魚らしい絵に、
『青きは鯖の肌にして、黯きは人の心なり』と判読せねば判らぬ字が踊っていた。これは戦前に、尾崎士郎君が私の麻布の家に遊びにきて、酔余に書きなぐったものである。伝説によると、尾崎君がまだ名をなさない学生の頃、小遣いに窮して当時売出しの桃中軒雲右衛門のために浪花節を作って送ったという、その冒頭の名文句だということである。無論それは雲右衛門のとるところとはならなかった。しかし尾崎君は酔うとその一節を自分でうなった。その昔、私も曾我廼家五九郎一座の作者志願をしてハネられたことがある。天才にはこうした話が一つはあるものである。
 中国へ去って永く帰らなかった私は、分散して預けた乏しい家財も蔵書も戦災で失っていた。福井の疎開先でも爆撃と地震で、再度焼け出され、無一物になった家内も一切を失っていた。ただ僅かに世田ヶ谷新町の親戚に預けてあった一個の本箱に、知人や友人の書画の表装をしないままに巻いてあったのが、その中に残っていた。
 新世帯同様の借家を飾る何物もないので、その中から尾崎君の風格のある酔筆を撰んで額にしていたのである。
「先生、これ呉れませんか」賞めたと思うと、とたんに池田がいった。凡そ天下に私を師と仰ぐ男は後にも先にも彼一人である。もとより彼が呉れといったら、鼻くそでも何でもやることは惜しまない私であったが、一寸勿体をつけて
「そうだな、まア三十万円で売ってやろう」
「三十万円でも、百万円でも好い。それじゃ、貸して下さい」
「九十九年間か」
「二、三年だ。どうせ先生はその位しか生きとらん。とにかく荷作りをしっかりさせて送って下さい」
 私は焼酎の酔いが廻わっていたので、早速その場で知合いの運送屋に電話をかけた。それに満足した池田は、
「尾崎さん、それからもう一人位、誰か有名な……そうだ井伏先生と三人で、福井へ講演にきてくれませんか」といった。
「尾崎君たち流行作家は忙がしいからね」
「今ならツグミの季節です。井伏先生も来て下…

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