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芸術は短く貧乏は長し
げいじゅつはみじかくびんぼうはながし
作品ID56180
著者平野 零児
文字遣い新字新仮名
底本 「平野零児随想集 らいちゃん」 平野零児遺稿刊行会
1962(昭和37)年11月1日
入力者坂本真一
校正者持田和踏
公開 / 更新2024-02-12 / 2024-02-06
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「池谷、佐々木(味津三)、直木など、親しい連中が相次いで死んだ。身辺うたた荒涼たる思いである。
「直木を記念するために、社で直木賞金というようなものを制定し、大衆文芸の新進作家に贈ろうかと思っている」
 故菊池寛は、直木の死んだ直後『文芸春秋』四月号(昭和九年)中の「話の屑籠」にこうした思いつきを発表した。
 爾来早や、二十五年を経た今日、その制定によって、毎年新進大衆文芸作家を世に送り出し、すでにことし前半期の受賞者池波正太郎氏を加えて、四十数人に達した。
 しかし「直木賞」は、このように花々しく、迎えられても、記念される当の直木三十五の名と作品は、ともすれば忘れられ勝ちである。
 かつて故人は、当時築地木挽町にあった、文春クラブの二階で、私に、
「ボクのものなど、死んでしまったら、果たして何年くらい読まれるかな、キッとすぐ忘れられてしまうだろう……」
 とあの長い顎(あご)をなでて、ポッンと[#「ポッンと」はママ]いったことがあった。私にはいま、その言葉が強く思い出される。
 遺憾ながらその言葉は、当っているようでもある。でも『南国太平記』は、いまもなお新しく版を重ねている事実もある。
 直木賞選考委員の一人の大佛次郎氏が、過日、本年度前半期の選考に臨むに際して、たまたま直木氏が、死の前に、晩年の仕事場として建てた、横浜市金沢区富岡の家を明らかにしたいといったのが動機で、地元の横浜ペンクラブがその宅趾(し)を顕彰することにし、直木氏と親しく、かつ「直木賞」選考委員でもある吉川英治、川口松太郎などの諸氏に、横浜市、商工会議所、神奈川県、その他有志によって「直木三十五宅趾記念事業委員会」が結成された。
 そして、宅趾には記念碑を、付近の墓所のある長昌寺と、最初に葬った慶珊寺の前には標石を建てる運びとなった。
 きたる十月六日には、その除幕式を行い、続いて七日には、横浜市音楽堂で、文芸春秋新社の後援のもとに、記念文芸講演会が開かれることになった。
 碑は縦一メートル三、横二メートル九の仙台石と、大谷石の白と黒との直木好みの色で取り合わせ、横浜美術懇話会の吉原慎一郎氏が設計した。その碑面の右には、
「芸術は短く、貧乏は長し」と刻まれることになり、文芸春秋社長の佐佐木茂索氏が、その字を揮毫(ごう)する。その句は、直木氏の随筆集中の一戯語からとった。
「直木らしくてよかろう」と委員会では期せずして、あえてこのような戯語を撰んだ。
「僕は、僕の母の胎内にいる時、お臍の穴から、僕の生れる家のなかを覗いて見て、
“こいつはいけねえ”
 と思った。頭の禿げかかった親爺と、それに相当した婆とが、薄暗くて小汚くて、恐ろしく小さい家の中に座っているのである。だが神様から、ここに生れ出ろと、いわれたのだから“仕方がねえや”と覚悟したが、その時から、貧乏には慣れている……」とかつて直…

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