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丹波篠山
たんばささやま
作品ID56184
著者平野 零児
文字遣い新字新仮名
底本 「平野零児随想集 らいちゃん」 平野零児遺稿刊行会
1962(昭和37)年11月1日
入力者坂本真一
校正者持田和踏
公開 / 更新2022-08-26 / 2022-07-27
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「あなた、お国は?」
 と聞かれる度に、私はちょっと自分で苦笑し乍ら、ためらうような調子で答える。
「丹波篠山ですよ」と、
 別に丹波篠山で生れたからとて、少しも卑下する理由はない、それなのに、ついこんな調子になるのは何故だろう。
 丹波篠山は、成程山間の都会だ。しかし日本のような山獄が、全土の脊骨となって貫いているような地形の国では、山間の都市や村落は無数にある。篠山だけが山間の部落ではない。然もわが篠山は、近畿と山陰地方とに跨がる、丹波、丹後、但馬の三丹地方中での、盆地に拓けた都市、旧城下町で、京都が王城であった頃の、王城に近い都市でさえあった。
 それなのに、丹波篠山だというと、ニヤリと笑う人もある。そのニヤリには、さげすむとまではいかぬが、稍からかい気味なものを含んでいる。日本の代表的な山家と思い込んでいる人が多いからである。戦前の第四師団の七十聯隊があった頃は、その管下の近畿地方の青年は、ここで軍隊教育を受けたから、篠山は知っている。それ以外は、ここを郷土とする者以外には、余りその土地さえ踏んだ人は尠ない。それなのに、丹波篠山の名は大袈裟にいえば天下にとどろいている。
 それほど有名になったのには、いろんな原因がある。別にスポンサーがあったわけでもないのに、篠山は先づデカンショ節で古くから広く知れ渡った。しかも、その文句のうちで一番最初に唄われるのが、
丹波篠山、山家の猿が、花のお江戸で芝居する、ヨウイ、ヨウイ、デッカンショ
 である。これがそもそも大きく作用している。「山家の猿」という丹波生れを思わせるこの文句の仕業である。東京では、この外に、「甲州の山猿」ともあざわらう。田舎者、山男の代名詞である。その代表が、丹波と甲州とされてきた。
 日本中猿の分布を詳しくは知らぬが、男鹿半島の金華山や、瀬戸内海には猿島などの名の通り、猿の群棲する地方が多いのに比べると、篠山の町では猿は王地山公園に数匹しかいない(実はその公園にも、果しているか否かは記憶が正確でない)それくらいなのに、篠山が天下の田舎の代表にされたのは、まさしくデカンショのせいである。
昔、丹波の大江山、鬼共多く住い居て、都に出ては人を喰い…………
という歌の作用も大きい。この唱歌は、私達は小学校で歌った。確か教科書にも、大江山酒テン童子の物語りとして載っていたものに附ずいした唱歌である。
 実際は丹波の大江山と、篠山とはだい分離れているが世間一般は、この鬼のすんだ山奥と、山家の猿の篠山と混同している。
「君、丹波てそんなに猿がいるんかい」
 真顔になって聞く人がいる。そんな時には私は、「うん、猿よりも庭に鬼の子が何匹も飼ってあるよ」と答えることにしている。
 畏友尾崎士郎、井伏鱒二君なんかは、自分の郷土に対して特に愛着を強く持つ文人である。作品にも屡々扱われている。無論これはこの二作家に限…

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