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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56203 |
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副題 | 088 不死の霊薬 088 ふしのれいやく |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(九)不死の霊薬」 嶋中文庫、嶋中書店 2005(平成17)年1月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1939(昭和14)年5月号 |
入力者 | 山口瑠美 |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2017-10-05 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、どうなすったんで?」
ガラッ八の八五郎は、いきなり銭形平次の寝ている枕許に膝行り寄りました。
「八か、――風邪を引いたんだよ。寝ているのも馬鹿馬鹿しいが、熱が高くて我慢にも起きちゃいられねえ」
平次は手拭で額を縛って、真っ赤な顔をしてフウフウ言っているのです。
「そいつはいけねえ、悪い風邪が流行るんですってね、気をつけなくちゃいけませんよ」
ガラッ八は世間並の事を言いながら、平次の額へそっと触ってみるのでした。
「寝込むほど患ったのは、六つの時麻疹をやってから、ツイぞ覚えのねえ事さ。鬼のかくらんだよ」
「岡っ引の風邪でしょう」
「ふざけちゃいけねえ、病人をからかったりなんかしやがって」
相当苦しそうな平次は、ツイ八五郎の軽口に応酬して、ポンポン言ってみたりするのです。
「からかっているわけじゃねえが、親分が患った日にゃ、御府内は闇だ」
「お世辞なんか言いやがって、馬鹿野郎ッ」
「へッ、お出でなすったね、その威勢のいい馬鹿野郎が聞きたかったんだ」
ガラッ八は掌で、自分の額を一つポンと叩くのでした。
「呆れた野郎だ、見舞に来たんだか、遊びに来たんだか、わかったものじゃねえ」
「見舞ですよ、正真正銘親分の見舞に違えねえ証拠は、この通り手土産を持って来たじゃありませんか」
「大層な口上だな、――塩煎餅の袋でも持って来たんだろう、どうせ」
平次は病人らしくもない元気で、続けざまに八五郎をからかっております。
「どうせ――は情けねえ、見て下さいよ、梅寿堂の上菓子が一と折、灘の生一本が五升」
「上菓子は解っているが、病気見舞に酒を持って来る奴もねえものだ」
「こいつを卵酒にして飲むと、大概の風邪は一ぺんにケシ飛びますよ。もっとも、親分がイヤなら、あっしが飲みながら、一と晩ぐらいは看病してやってもいい」
「呆れた野郎だ」
平次が精一杯呆れ返って、八五郎の馬鹿馬鹿しさも市が栄えたわけですが、何かしら、平次の見当では、割り切れないものがそこに残っているのです。
「変な顔をするじゃありませんか、親分」
ガラッ八は狭い袷の前を合せて、平次のけげんな視線の前にモジモジしました。
「上菓子一と折に、剣菱が五升――少し奢りが過ぎるようだぜ。八、どこからそんな工面をして来たんだ」
「工面なんかしませんよ」
「手前にしちゃ大した散財じゃないか。岡っ引が金を持っているなんざ、褒めたことじゃねえ、どこからそんな金を持って来たんだよ、八」
正直者の八五郎のために、平次はそんな事まで真剣に心配してやるのでした。
「どこだっていいじゃありませんか」
「よかアないよ、まさか筋の悪い金を身につける八とは思わねえが、あとで困るほどの工面をさしちゃ、菓子も酒も喉を通らねえ、白状してしまいな」
平次の調子がシンミリしてくると、ガラッ八はツイ涙ぐましい心持になるのです。
「そんな…