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来訪者
らいほうしゃ |
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作品ID | 56225 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「荷風全集 第十八巻」 岩波書店 1994(平成6)年7月27日 |
初出 | 「来訪者」筑摩書房、1946(昭和21)年9月5日 |
入力者 | H.YAM |
校正者 | きりんの手紙 |
公開 / 更新 | 2019-12-03 / 2019-11-29 |
長さの目安 | 約 77 ページ(500字/頁で計算) |
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一
わたくしはその頃身辺に起つた一小事件のために、小説の述作に絶望して暫くは机に向ふ気にもなり得なかつたことがある。
小説は主として描写するに人物を以てするものである。人物を描写するにはまづ其人物の性格と、それに基いた人物の生活とを観察しなければならない。観察とは人を見る眼力である。然るにわたくしは身辺に起つた一瑣事によつて、全然人を見る眼力のないことを知り、これでは、到底人物を活躍させるやうな小説戯曲の作者にはなれまいと、喟然として歎息せざるを得なかつた次第である。その頃頻々としてわたくしを訪問する二人の青年文士があつた。
平生わたくしは文学を以て交る友人を持つてゐない。たま/\相見て西窓に燭を剪る娯しみを得ることもあつたが、然し其人々は皆白頭にして、わたくしとは職業を異にしてゐた。然るに新に交を訂したかの二客は殆ど三日を出でず、時には相携へて、時には各自単独に来訪し、昭和文壇の消息やら、出版界の景況やらを聞かせてくれる。わたくしが平生知りたいと思ひながら、知ることを得ない話ばかりである。即ち某新聞社の小説潤筆料は一回分何十円、某々先生の一ヶ月の収入は何千円といふやうな話である。
二客はその年齢いづれも三十四五歳、そして亦いづれも東京繁華な下町に人となつた江戸ツ子である。一人はその名を木場貞、一人は白井巍と云ふ。木場は多年下谷三味線堀辺で傭書と印刻とを業としてゐた人の家に生れたので、明治初年に流行した漢文の雑著に精通してゐる。白井は箱崎町の商家に成長し早稲田大学に学び、多く現代の英文小説を読んでゐる。
わたくしは其時年はもう六十に達し老眼鏡をかけ替へても、古書肆の店頭に高く並べられてある古本の表題を見るのに苦しんでゐたので、折々二子を伴つて散歩に出で、わたくしに代つて架上の書を見てもらふ便を得た。
団々珍聞や有喜世新聞の綴込を持つて来てくれたのは下谷生れの木場で、ハーデーのテス、モーヂヱーのトリルビーなどを捜して来てくれたのは箱崎で成長した白井である。二人はわたくしと対談の際、わたくしを呼ぶに必先生の敬語を以てするので、懇意になるに従つて、どうやら先輩と門生といふやうな間柄になつて来たが、然し二人が日常の生活については、其住所を知るの外、わたくしの方からは一度も尋ねに行つたことがないので、余程後になるまで、妻子の有る無しも知らずにゐた。
木場は或日蜀山人の狂歌で、画賛や書幅等に見られるものの中、其集には却て収載せられてゐないものが鮮くないので、これを編輯したいと言ひ、白井は三代目種彦になつた高畠転々堂主人の伝をつくりたいと言つて、わたくしを驚喜させた。わたくしは老の迫るにつれて、考證の文学に従ふ気魄に乏しく、後進の俊才に待つこと日に日に切なるを覚えて止まなかつたので、曾て蒐集した資料の中役に立つものがあつたら喜んで提供しようと言つた。然し二…