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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID56229
副題040 大村兵庫の眼玉
040 おおむらひょうごのめだま
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(二)八人芸の女」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年6月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1935(昭和10)年5月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者結城宏
公開 / 更新2018-08-19 / 2019-11-23
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「八、花は散り際って言うが、人出の少なくなった向島を、花吹雪を浴びて歩くのも悪くねえな」
 銭形平次はいかにも好い心持そうでした。
「悪いとは言いませんがね、親分」
「何だ、文句があるのかえ」
「こう、金龍山の鐘が陰に籠ってボーンと鳴ると、五臓六腑へ沁み渡りますぜ」
「怪談噺てえ道具立じゃないよ。見や、もう月が出るじゃないか」
「へッ、へッ、真っ直ぐに申上げると、腹が減ったんで」
 ガラッ八の八五郎は、長い顎を撫でました。涎を揉み上げるといった恰好です。
「もう食う話か、先刻あんなに詰め込んだ団子はどこへ入ったんだ」
「それが解らないから不思議で、――何しろ竹屋の渡しから水神まで三遍半歩いちゃ、大概の団子腹がたまりませんよ」
「泣くなよ八、風流気のない野郎だ」
 銭形の平次と子分の八五郎は、こんな無駄を言いながら、向島の土手を歩いておりました。
 昼のうちは、落花を惜しむ人の群で、相当以上に賑わいますが、日が暮れると、グッと疎らになって、平次と八五郎の太平楽を妨げる酔っ払いもありません。
 ちょうど牛の御前のあたりへ来た時。
 バタバタと後ろから足音がして、除け損ねた八五郎の身体へドンと突き当りました。
「危ねえ、後ろから突き当る奴もねえものだ。何をあわてるんだ」
「御免下さいまし」
 振り返ったガラッ八の袖の下を掻潜り様、ト、ト、トと前へ、物に驚いた美しい鳥のように駆け抜けたのは、紛れもなく若い女です。
「どっこい、待ちねえ。胡乱な奴だ」
 後ろから伸びた八五郎の手は、その帯際をむずと掴みました。
「急ぐ者でございます。お許しを願います」
 女は花見衣の袖に顔を埋めて、堤の夕闇に消えも入りそうでした。
「懐中物の無事な顔を見ないうちは、うっかり勘弁するものか」
 八五郎は遊んでいる片手を働かせて、内懐から腹掛の丼から、犢鼻褌の三つまで捜っております。女巾着切と思込んだのです。
「八、何てえ事をするんだ。見れば御武家方に御奉公している御女中のようだ。無礼があってはなるまい」
 平次は見兼ねて八五郎の肩を叩きました。
「へエ、巾着切じゃありませんかねえ。花時の向島土手で、不意に後ろから突当るのは、巾着切と決ったようなものだが」
 ガラッ八はようやく手を放します。
「とんでもねえ野郎だ。――御女中、勘弁してやって下さい。こんな解らねえ野郎でも、役目があるんだから」
「ハイ、イエ」
 女はひどく恐縮して、二人へ弁解をするともなく、顔の袖を取りました。堤の掛行灯は少し遠過ぎますが、ちょうど田圃の上へ出た月が、その素晴らしい容貌を、惜しみなく照し出します。
「お急ぎのようだ、構わず行きなさるがいい。まだ花見の往来があるから、物騒なことはあるまい」
「有難う存じます。船がツイ竹屋の渡しの手前に待っておりますから」
「それじゃ、ほんの一と丁場だ、――送って上げるのも…

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