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背負ひ切れぬ重荷
せおいきれぬおもに
作品ID56236
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第三巻 評論・随筆・書簡2――『文明批評』以後」 學藝書林
2000(平成12)年9月30日
初出「婦人公論 第三年第四号」1918(大正7)年4月1日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-12-29 / 2014-11-14
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今から、六七年ばかり以前に、私の郷里で非常に善良なをとなしい一人の女教師が、自宅の前の溜池で自殺を遂げた事があります。
 その死は、いろ/\な意味で、その周囲には深い注意をもつて観られたやうであります。しかし、私の聞いた処に依れば、彼女の自殺の原因らしいものはいくつも有りまするけれど、その何れもが極めて薄弱なもので、その為めに死ぬには、あまりに呆気なさすぎるものでありました。それに此の女教師は、それに対しては極めて周到な用意をして居りました。彼女は、怠らずに日記も書きました。他人との手紙の往復もかなりによくしてゐました。それからまた、時たま、感想めいたものもよく書いてゐたに相違ないのであります。それにも拘はらず、彼女の死後その居室には文字を書いたものと云つては、殆んど何一つない位よく仕末されてありました。持物と云ふ持物もまた、何時誰の手に改められてもさしつかへのないやうに、几帳面に整理されてありました。彼女はもう、ずつと前から、人知れず、さうした整理をしてゐたものに相違ありません。それ故、如何に臆測好きな人達でも、全然根拠のない臆測を公然と真実めかして話すのも憚られるのか、誰れも、その死因は判然しないと云つて居ります。それに、よくさうした若い女の自殺に纏る種類の臆測をこの女教師の上に無遠慮に持つて来るには、彼女は、あまりに人々の人望を集めすぎてゐました。
 しかし、人々の好奇心は、その解らないとされた点に向つては、内々余計に執拗に働いたやうであります。それ故、彼女を知つてゐる、極く少数の人々の集まる処では、当時何よりも、矢張りそれが問題になつたやうであります。そして其処では、お互ひの臆測が、可なり遠慮がちながらも話されるのでありました。
 その人達によると、彼女の死因は、家庭内の複雑な関係から起る不和によるとも云ひ、彼女の不幸なラヴ、アツフエアからとも云ひ、また生来の多病を悲観してとも云ひます。しかしそれは何れも、死因としては非常に薄弱なものであることは、それを話してゐる人達でさへも認めてゐるのであります。

 その女教師は、その時たしか二十三だつたとおもひます。非常に素直で内気な、どんな事があつても、余程意地くね悪い人でゝもなければ彼女を悪むことは出来ない程善良な人でありました。彼女は生徒を可愛がるよりも、寧ろ生徒の方から、いぢらしがられる程の人でありました。どんな悪い生徒に対しても、叱ると云ふやうな事は到底出来ない人でありました。もし教師として、どうしても或る生徒に対して所謂訓戒の必要が起つて来ると、彼女は本当にそれをするのが如何にも辛さうに、或場合には、彼女は遅くまで生徒を残しておきながら、どうしても叱る事が出来ずに時間が立つてゆくので自分の腑甲斐なさに愛想をつかしながらも、とう/\そんなに遅くまでも残した事を先づわびて、やつとお役目を済まして、生徒…

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