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![]() ずいひつぜにがたへいじ |
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作品ID | 56240 |
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副題 | 14 捕物帖談義 14 とりものちょうだんぎ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(二)八人芸の女」 嶋中書店 2004(平成16)年6月20日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2014-01-01 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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一
あの荒唐無稽な『西遊記』などを読まなかったら、私は物理学者にならなかったであろう――と、いう意味のことを、雪の学者中谷宇吉郎博士が、なんかに書いていたのを見たことがある。まことに味の深い言葉であると思う。
私は中学時代、まことに仕様のない低能児であったが、たった一つだけ将来性のある課目があった、それはなんと「数学[#「数学」は底本では「数字」]」であったといったら、「嘘をつけ」と叱る人があるかもしれない。が、これは掛け引きのない話で、猪川塾という盛岡の中学の塾に泊って、そこから中学に通っていた私は、よく室友達に数学の宿題を教えて得意になっていたし、なまけ者で通っていた私が、当時の入学試験中一番六つかしいといわれた一高の入学試験にパスして悪友共を驚かしたのも、数学が満点近かったためではあるまいかと、今でも考えているのである。
中谷博士は『西遊記』を耽読して雪の学者になったと同じように、私は数学が小器用に出来たおかげで小説を書くようになったのかもしれないのである。小説の中でも二二が四と数学的に整理されなければならない、捕物小説を書くようになったのは、まことに浅からぬ因縁というべきである。
もう一つ私は、父親のすすめで法律を学ぶことになり、嫌々ながら法科大学に籍を置くことになったのであるが、なんとしても法律というものが好きになれず、愚図愚図しているうちに父親に死なれて学費の途を失い、四十年前のアルバイト学生として漸くその日の糧を得ているうちに、大学へ出す月謝の期限を忘れて、待てしばしの用捨もなく除名になってしまったのである。その頃の官立大学は、お金のことというと、高利貸の如くやかましかったものである。
近代法の精神は、行為を罰して動機を罰しないことになっている、が、我々が描くところの捕物小説においては、行為を罰せずに、動機を罰してしばしば溜飲を下げているのである。学者や実際家が見たら、随分馬鹿馬鹿しいものかもしれないが、小説の世界ではそれくらいのことは大目に見られているのである。
捕物小説の楽しさは、この近代法の精神を飛躍した、一種のヒューマニズムにあるのかもしれず、奔放な空想のうちに、自分勝手な法治国を建設する面白さにあるのかもしれない。捕物小説国では、世界のいかなる法律も罰することの出来ない、偽善者や悪人を捉えこれを縦横に翻弄して、巧みに隠された、「悪性」までをも適当に処罰することが出来るのである。
法科大学から追放された私は、二十年後捕物小説を書くようになって「御法の裏を行く」ような、銭形平次の法律を作ったのも、また因縁事というべきであろうか。
さはさりながら、実生活の上の私は、この上もなく細心忠良な小市民であり、法律に徇うことを以て「最小限度のたしなみ」としていることだけは明らかにしておきたい。かつてヴィクトル・ユーゴーが、『レ・ミゼ…