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章魚木の下で
たこのきのしたで
作品ID56242
著者中島 敦
文字遣い新字新仮名
底本 「中島敦全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年5月24日
初出「新創作」1943(昭和18)年新年号
入力者小池健太
校正者小林繁雄
公開 / 更新2014-03-25 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 南洋群島の土人の間で仕事をしていた間は、内地の新聞も雑誌も一切目にしなかった。文学などというものも殆ど忘れていたらしい。その中に戦争になった。文学に就いて考えることは益々無くなって行った。数ヶ月してから東京へ出て来た。気候ばかりでなく、周囲の空気が一度に違ったので、大いに面喰った。本屋の店頭に堆高く積まれた書物共を見て私は実際仰天した。久しぶりで文学作品を読むと流石に面白くはあったが、南洋呆けして粗雑になった私の頭には、稍々微妙に過ぎ難解に感じられることが無いではなかった。この事は作品以外の批評や感想などに至って更に其の度を増した。文壇の事情に就いての予備知識が全然欠けていること、当然知っていなければならない幾つかの術語や合言葉を知らないこと、私が心理的にも論理的にも余りに大ザッパな単純な人間になり過ぎて了ったこと、之等がその原因のようである。併し、とにもかくにも其等の文章を通じて、文学をする者にとっての現在の問題というものが朧げながら判っては来た。思えば自分は今迄章魚木の下で、時局と文学とに就いて全く何とノンビリした考え方しかしていなかったことかと我ながら驚いた。ノンビリした考えどころではない、てんで何も考えなかったのだ。戦争は戦争、文学は文学。全然別のものと思い込んでいたのだ。己に課せられた実務が目下の所第一の急務で、他は顧みる暇がない。稀に暇があった時にのみ些かは文字を連ねることもあったが、必ずしも文学作品という意識を以てではない。書くものの中に時局的色彩を盛ろうと考えたこともなく、まして、文学などというものが国家的目的に役立たせられ得るものとは考えもしなかった。少くとも応用科学が戦争に役立つと同じ意味で文学が戦争に役立ち得るとは愚かにも思い及ばなかったので、此の際文学は忘れ去って唯当面の仕事を一心にやっていればいいのだと簡単に考えた。国民の一人として忠実に活きて行く中に、もし自分が文学者なら其の中に何か作品が自然に出来るだろう。しかし出来なくても一向差支えない。一人の人間が作家になろうとなるまいと、そんな事は此の際大した問題ではない。其の程度のボンヤリした考えで東京へ出て来たものだから、種々な微妙複雑な問題の氾濫にすっかり吃驚したのである。成程、文学も戦争に役立ち得るのかと其の時始めて気が付いたのだから、随分迂闊な話だ。しかし、文学者の学問や知識による文化啓蒙運動が役に立ったり、文学者の古典解説や報道文作製術が役に立ったりするのは、之は文学の効用といって良いものかどうか。文学が其の効用を発揮するとすれば、それは、斯ういう時世に兎もすれば見のがされ勝ちな我々の精神の外剛内柔性――或いは、気負い立った外面の下に隠された思考忌避性といったようなものへの、一種の防腐剤としてであろうかと思われるが、之もまだハッキリ言い切る勇気はない。現在我々の味わいつつある…

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