えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

狐憑
きつねつき
作品ID56247
著者中島 敦
文字遣い新字新仮名
底本 「ちくま日本文学012 中島敦」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年3月10日
初出「光と風と夢」筑摩書房、1942(昭和17)年7月15日
入力者小池健太
校正者久木舜
公開 / 更新2020-12-04 / 2020-11-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応 ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告




本文より

 ネウリ部落のシャクに憑きものがしたという評判である。色々なものがこの男にのり移るのだそうだ。鷹だの狼だの獺だのの霊が哀れなシャクにのり移って、不思議な言葉を吐かせるということである。
 後に希臘人がスキュテイア人と呼んだ未開の人種の中でも、この種族は特に一風変っている。彼等は湖上に家を建てて住む。野獣の襲撃を避けるためである。数千本の丸太を湖の浅い部分に打込んで、その上に板を渡し、そこに彼等の家々は立っている。床のところどころに作られた落し戸を開け、籠を吊して彼等は湖の魚を捕る。独木舟を操り、水狸や獺を捕える。麻布の製法を知っていて、獣皮と共にこれを身にまとう。馬肉、羊肉、木苺、菱の実等を喰い、馬乳や馬乳酒を嗜む。牝馬の腹に獣骨の管を挿入れ、奴隷にこれを吹かせて乳を垂下らせる古来の奇法が伝えられている。
 ネウリ部落のシャクは、こうした湖上民の最も平凡な一人であった。
 シャクが変になり始めたのは、去年の春、弟のデックが死んで以来のことである。その時は、北方から剽悍な遊牧民ウグリ族の一隊が、馬上に偃月刀を振りかざして疾風のごとくにこの部落を襲うて来た。湖上の民は必死になって禦いだ。初めは湖畔に出て侵略者を迎え撃った彼等も名だたる北方草原の騎馬兵に当りかねて、湖上の栖処に退いた。湖岸との間の橋桁を撤して、家々の窓を銃眼に、投石器や弓矢で応戦した。独木舟を操るに巧みでない遊牧民は、湖上の村の殲滅を断念し、湖畔に残された家畜を奪っただけで、また、疾風のように北方に帰って行った。後には、血が染んだ湖畔の土の上に、頭と右手との無い屍体ばかりが幾つか残されていた。頭と右手だけは、侵略者が斬取って持って帰ってしまった。頭蓋骨は、その外側を鍍金して髑髏杯を作るため、右手は、爪をつけたまま皮を剥いで手袋とするためである。シャクの弟のデックの屍体もそうした辱しめを受けて打捨てられていた。顔が無いので、服装と持物とによって見分ける外はないのだが、革帯の目印と鉞の飾とによって紛れもない弟の屍体をたずね出した時、シャクはしばらく茫っとしたままその惨めな姿を眺めていた。その様子が、どうも、弟の死を悼んでいるのとはどこか違うように見えた、と、後でそう言っていた者がある。
 その後間もなくシャクは妙な譫言をいうようになった。何がこの男にのり移って奇怪な言葉を吐かせるのか、初め近処の人々には判らなかった。言葉つきから判断すれば、それは生きながら皮を剥がれた野獣の霊ででもあるように思われる。一同が考えた末、それは、蛮人に斬取られた彼の弟デックの右手がしゃべっているのに違いないという結論に達した。四五日すると、シャクはまた別の霊の言葉を語り出した。今度は、それが何の霊であるか、すぐに判った。武運拙く戦場に斃れた顛末から、死後、虚空の大霊に頸筋を掴まれ無限の闇黒の彼方へ投げやられる次第を哀しげに…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2021 Sato Kazuhiko