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梟娘の話
ふくろうむすめのはなし
著者岡本 綺堂
文字遣い新字旧仮名
底本 「青蛙堂奇談 ――岡本綺堂読物集二」 中公文庫、中央公論新社
2012(平成24)年10月25日
初出「婦人公論」1923(大正12)年9月号
入力者江村秀之
校正者noriko saito
公開 / 更新2020-03-01 / 2020-02-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 天保四年は癸巳年で、その夏四月の出来事である。水戸在城の水戸侯から領内一般の住民に対して、次のやうな触渡しがあつた。それは領内の窮民または鰥寡孤独の者で、その身がなにかの痼疾あるひは異病にかゝつて、容易に平癒の見込みの立たないものは、一々申出ろといふのであつた。
 城内には施薬院のやうなものを設けて、領内のあらゆる名医がそこに詰めあひ、いかなる身分の者でも勿論無料で診察して取らせる、投薬もして遣るといふのであるから、領内の者どもは皆その善政をよろこんで、名主や庄屋をたよつて遠方からその診察を願ひに出てくる者も多かつた。
 ところが、眼のさきの城下に不思議の病人のあることが見出された。それは下町の町人の娘で、文政四年生れの今年十三になるのであるが、何ういふわけか此世に生れ落ちるとから彼女は明るい光を嫌つて、いつでも暗いところにゐるのを好んだ。少しでも明るいところへ抱へ出すと、かれは火のつくやうに泣き立てるので、両親も乳母も持余して、よんどころなく彼女を暗い部屋で育てた。それが習慣になつたかして、彼女は起つてあるくやうになつても矢はり暗い部屋を離れなかつた。しかも彼女は決して盲でもなかつた、跛足でもなかつた。殊にその容貌はすぐれて美しかつた。赤児のときから日の光をうけずに育つたにも似ないで、かれの顔は玉のやうに輝いてゐた。戸障子を立て籠めて、その部屋はすべての光を防ぐやうに出来てゐるばかりでなく、かれは厠へ通ふ時のほかは他の座敷へも廊下へも出なかつた。厠へゆく時でも、かれは両袖で顔を掩ひかくすやうにしてゐたが、どうかして其袖のあひだからちらりと洩れた顔をみせられた場合には、誰でもその美しいのに驚かない者はなかつた。
 彼女はひとり娘で、しかもその家は城下でも聞えた大商人であるので、親たちは彼女が好むまゝに育てゝゐた。七つ八つになつて、かれは手習をはじめたが、勿論師匠について稽古するのではなかつた。かれは親達からあたへられた手本を机の上に置いて、いつもの暗い部屋で書き習つてゐたが、その筆蹟は子供とも思はれないほどに見事なものであつた。どうして暗いところで文字を書くことが出来るか、それも一つの不思議にかぞへられてゐたが、おそらく幼いときから暗いところに育つたので、かれの眼は暗いのに馴れたのであらうといふ説であつた。それから惹いて、かれは暗いところで物をみることは出来るが、明るいところでは見えないのではあるまいかと云ふ噂が立つた。誰が云ひ出したとも無しに、かれは梟娘のあだ名を呼ばれるやうになつた。しかもその梟娘の正体を確かに見とゞけた者は、この城下に一人もなかつた。
 今度の触出しについて、梟娘は何うしてもいの一番に願ひ出なければならないのであつたが、その家が富裕であるので、親たちも遠慮して差控へてゐるのを、町役人どもが相談して先づ親たちにも得心させ、その次第を書き…

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