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尾瀬雑談
おぜざつだん
作品ID56262
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「山岳」1925(大正14)年5月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2014-07-14 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 尾瀬の記事は既に書き尽されてあるから、この上の剰筆は真に蛇足であるに過ぎないが、敢て二、三の見聞をここに載せることにした。尤も雑談に花を咲かせる程の興味あるものでないことは予め御承知を願いたい。
 尾瀬沼は『正保図』には「さかひ沼」となっていて、尾瀬とも小瀬とも記してないことは、曾て『山岳』十六年三号に書いた通りである。然るに寛文六年の序ある『会津風土記』には、

只見川(源出会津小瀬沼、北流過山間数十里、東転至田子倉村、云々。)

とあり、安永三年の序ある『上野国志』には、

沼峠(駒ヶ岳の東にあり、上野越後陸奥の界なり、山上に沼あり尾瀬沼と云、沼の中央国界なり、沼水西北に流る、大滝川と云、川の西は越後東は陸奥なり、但大滝川越後にては不動滝と云。信州界鳥井峠より是まで三十三里十九町。)

となっている。これで見るとかなり早くから「ヲゼ」の称呼が行われていたことが分る。尚お『正保図』には沼の東南岸に一里[#挿絵]の記号を存し、側に「冬より春の内牛馬不通」と書いてある。大江川には「檜枝俣境沢」とありて、之に架せる橋に「橋長二間半」と傍書し、其北の路線の終りに「此境より陸奥檜枝俣迄三里半」及び「信濃境鳥居峠より此所迄舟卅三里拾九町」と二行に書き並べてある。『上野国志』の記事はこの後者を襲用したものであろう。
 尾瀬沼と尾瀬ヶ原に遊んで、すぐ頭に浮ぶのは日光の中禅寺湖と戦場ヶ原である。但し戦場ヶ原は中禅寺湖より百二十四米の高所に在るが、尾瀬ヶ原は沼より二百六十七米も低い所にある。夫れでも戦場ヶ原より高きこと三米で、沼は中禅寺湖より三百九十四米、湯ノ湖に較べてさえ百八十七米も高い。中禅寺湖畔では秋が未だ闌でないのに、尾瀬沼では既に冬の領となっている訳が成程と首肯かれる。
 中禅寺湖が男体山の堰止め湖であると同様に、尾瀬沼は燧ヶ岳の噴出物に堰止められて生じたものであろう。独り湖沼ばかりでなく、原も亦同様にして生じたものらしく思われる。そしてこの尾瀬と日光とに於ける二の著名なる湿原の研究が館脇君によって初めて『山岳』誌上に其一端を発表されたことは、私等に取りて大なる幸であり、教を受くること鮮少ではない。
 中禅寺湖は其面積の大なるによるであろうが、山湖として明るさが過ぎるように感ずるのは、湖岸に針葉樹の少ない事も可なりな影響を及ぼすものと考えられる。然し周囲が相当な森林であって、あらわでないのは嬉しい。金精峠の西に在る菅沼は、丸沼及大尻沼と共に白根山の堰止湖かと疑われるが、これはまた殆ど針葉樹の純林に周囲を取り巻かれている為に、恐ろしく暗い感じのする山湖である。妙に息苦しいような圧迫をさえ感ずる。其湖畔の道は稍や富士山麓の本栖湖の南岸を辿る小径と似通っている所があるけれども、あれよりも遥に深刻である。大尻沼はわるくない。丸沼は北岸の人家が甚しく目障りとなるのは是非ない…

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