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上州の古図と山名
じょうしゅうのこずとさんめい |
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作品ID | 56267 |
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著者 | 木暮 理太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社 1999(平成11)年7月15日 |
初出 | 「山岳」1923(大正12)年5月 |
入力者 | 栗原晶子 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2014-07-20 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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古図には立派に記載されている山でも、今日では夫がどの山であるか、殆ど見当のつけようもない程不正確にあらわされているものがある。それで単に古図と今の図とを比較しただけでは、何とも判断に苦しむが、其際地誌の類たとえば「風土記」とか近くは『郡村誌』というようなものの助を借りれば、案外楽に断定し得る場合が少くない。この文は古図を見ても古記録の類を渉猟する暇のない人の参考にもと思って、古図に顕れている奥上州夫も主として信越岩野の国境山脈中に於ける山名に就て少し書いて見たのである。従って題名も「古図に顕れたる奥上州の山名に就て」とでもした方が適切なのであるが、余り長くなるので故意に短くした訳である。
上州の古図は単独に出版されたものは多くはないようであるが、写本ならば決して少なくはない。其他『関東八州大絵図』『関八州輿地図』『関八州路程図』などいうものは大分あるらしいけれども、別項「古図の信じ得可き程度」なる文中にも申した通り、是等は孰れも『正保図』を基としたものであるから、大同小異であって、其中の一に就けばよい。茲には便宜上自分の手許にある『富士見十三州輿地全図』を引用することにした。
先ず浅間山附近から始めることにする。浅間の西に水の塔というのがある。『信府統記』には[#「『信府統記』には」は底本では「『信府統紀』には」]「水のとう、みつをね嶺、両所共に上野国にても同名」と記されているが、これは湯ノ平の西に在る二千四百五米の隆起を指したもので、両者の区別は判然していないようである。五万の地図には之を浅間黒斑山とし、側に(三ツ尾根山)と註してある。或は水ノ塔は湯の平の北方に在る二千三百十九米の三角点ある隆起をいうたものであるかも知れぬ。自分は曾てこれに就て土地の人に尋ねて見たがよく分らなかった。『郡村誌』田代村の書上には「東南ニ浅間、三ツ尾根、水ノトウ、駕籠ノトウヲ負ヒ」と書いてある。横笹山は上州で籠ノ塔と呼ぶ山に対する信州の名であるから、信州側に置く可きを誤って上州側に入れたのであろう。地蔵反は地蔵のそりと読むので、そりは鞍部を指していう言葉であるが、同時に峠道として人の通行することを条件としているらしいことを、曾て土地の人から聞かされたことを覚えているが、これは矢張り甲州には殊に多い「そり」又は「そうり」と同じ意味であろうと思う。附近に在る大ススキ山と小ススキ山は、千九百十五米の三角点ある桟敷山と千九百八十米の小在池山に当っている、そしてコサイケ山とあるのは鍋蓋山らしく思われる。然し『上野国志』などに拠ると五万の図の山名の方が正しい。
湯丸山は国境を中央に頂を接して上州側にも信州側にも描いてある。斯様な描き方をしてある山は、両国に跨ることを示すもので、若し山名の記載が異っていれば、それぞれ異った名で呼ぶことをあらわしているのである。四阿山は信州の称呼で、上…