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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題072 買った遺書
072 かったいしょ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(一)平次屠蘇機嫌」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年5月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1938(昭和13)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者結城宏
公開 / 更新2018-12-19 / 2018-11-24
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、何をしていなさるんで?」
 ガラッ八の八五郎は、庭口からヌッと長い顎を出しました。
「もう蟻が出て来たぜ八、早いものだな」
 江戸開府以来と言われた名御用聞、銭形平次ともあろう者が、早春の庭に踞んで、この勤勉な昆虫の活動を眺めていたのです。
 生温かい陽は、平次の髷節から肩を流れて、盛りを過ぎた梅と福寿草の鉢に淀んでおります。
「大層暇なんだね、親分」
「結構な御時世さ。御用聞が昼近く起出して、蟻や蚯蚓と話をしているんだもの」
「ヘッ、ヘッ、その暇なところで一つ逢って貰いたい人があるんだが――」
「お客はどこに居なさるんだ」
「あっしの家へ飛込んだのを、つれて来ましたよ。少しばかりの知合を辿って、入谷から飛んで来たんだそうで――」
「なんだって庭先なんかへ廻るんだ。お客様が一緒なら、大玄関へ通りゃいいのに」
「ヘッ、その大玄関は張物板で塞がっていますよ――木戸から庭を覗いて下さい、親分が煙草の煙で曲芸をしているはずだから――と、奥方様がおっしゃる」
「馬鹿だなア」
 平次の顔は笑っております。自分が馬鹿なのか、女房のお静が馬鹿なのか、それともガラッ八が馬鹿なのか、自分でも主格がはっきりしない様子です。
「それに、お客様は跣足だ。大玄関からは上がられませんよ――さア、遠慮はいらねえ、そこから入って来るがいい」
 ガラッ八は平次へ半分、後ろの客へ半分声をかけました。
「…………」
 黙って木戸を押して、庭へ入って来たのを一と目、平次の顔は急に引き締ります。
 取乱してはおりますが、十八九の美しい娘が、足袋跣足のままで、入谷から神田まで駆けつけたということは、容易のことではありません。それに、平次の早い眼は、娘の帯から裾へかけて、斑々と血潮の付いているのを、咄嗟の間に見て取ったのです。
「まア、ここへ坐って、気を落着けるがいい。話はゆっくり聴こうじゃないか」
「…………」
「静、水を一杯持って来てくれ」
 平次は縁側へ娘を掛けさせると、女房のお静が汲んで来た水を一杯、手を持ち添えるように、娘に呑ませてやりました。
 蒼白い顔や、痙攣する唇や、洞な眼から、平次は事件の重大さを一ぺんに見て取ったらしく、何よりこの娘の心持を鎮めて、その口から出来るだけの事を引出さなければと思い込んだのです。
「有難うございます」
 冷たい水を一と息に呑むと、娘はようやく人心地付いたのでしょう。頬の堅さがほぐれて、自分の端たない様子を恥じるように前褄を合せたりしました。
「どんな事があったのだえ――気分が落着いたら、聴かして貰おうじゃないか」
 平次の調子は、年にも柄にも似ず、老成なものでした。
「あの、大変なことになりました」
「大変?」
「父が死にました」
 こう言った娘は、張り詰めた気が緩んだものか、いきなりシクシク泣き出しました。
「ただ死んだのではあるまい。――自…

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