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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID56273
副題060 蝉丸の香炉
060 せみまるのこうろ
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(一)平次屠蘇機嫌」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年5月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1937(昭和12)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者結城宏
公開 / 更新2018-11-05 / 2019-11-08
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、松が取れたばかりのところへ、こんな話を持込んじゃ気の毒だが、玉屋にとっては、この上もない大難、――聴いてやっちゃ下さるまいか」
 町人ながら諸大名の御用達を勤め、苗字帯刀まで許されている玉屋金兵衛は、五十がらみの分別顔を心持翳らせてこう切出しました。
「御用聞には盆も正月もありゃしません。その大難というは一体何で?」
 銭形の平次は膝を進めます。往来にはまだ追羽子の音も、凧の唸りも聞える正月十三日、よく晴れた日の朝のうちのことです。
「外じゃない、さる大々名から、新年の大香合せに使うために拝借した蝉丸の香炉、至って小さいものだが、これが稀代の名器で、翡翠のような美しい青磁だ。それが、昨夜私の家の奥座敷から紛失した。――たった香炉一つと言ってしまえばそれまでだが、一国一城にも代え難いと言われた天下の名器で、公儀へ御書き上げの品でもあり、紛失とわかれば、内々で御貸下げ下すった、御隠居様の御迷惑は一と通りでない。私はまず腹でも切らなければ済まぬところだ」
「…………」
 平次は黙って聴いておりますが、玉屋金兵衛の困惑は容易のものでないのはよく解ります。
「親分は、お上の御用を勤める身体だ。香炉の紛失はいわば私事、こんな事を頼んではすまないが、これは金ずくでも力ずくでもかなわない。いよいよ香炉が出てこないとなると、私の命一つはともかくとして、さる大々名のお家の瑕瑾ともなるかも解らない。折入っての願いだが、何とか一と骨折っては下さるまいか」
 玉屋金兵衛は、畳に手を突かぬばかりに頼み入ります。大町人らしい風格のうちに、茶や香道で訓練された、一種の奥床しさがあって、こうまで言われると、平次もむげには断り切れません。
「宜しゅうございます。それ程の品が無くなるのは、容易ならぬわけのあることでしょう。出るか出ないかはともかくとして、一つ当ってみるとしましょう」
「有難い、親分」
「ところで、無くなったのはいつのことでございます」
「昨夜の宵のうち、――詳しく言えば、戊刻(八時)頃までは確かにあったが、今朝見ると無くなっている」
「怪しいと思った者はありませんか」
「外からは容易に入れるはずはないから、家の中の者だろうと思うが、困ったことに、その部屋は一方口で、手前の部屋に居たのは、私の娘お幾の踊友達、親類のように付き合っている、お糸という十九になったばかりの娘だけなんだが――」
 玉屋金兵衛の調子は、その娘に疑いをかけたくない様子でした。
「とにかく、お店へ行って、皆に引き合せて貰いましょう。その上間取りの具合でも見たら、また何か気が付くかも知れません」
「それじゃ親分、何分よろしく頼みますよ」
 少し言い足らぬ顔ですが、さすがに大店の主人らしく、言葉少なに引揚げて行きます。
 その後ろ姿を見送って、
「親分、大変なことになったネ」
 ガラッ八の八五郎は乗出し…

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