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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56276 |
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副題 | 023 血潮と糠 023 ちしおとぬか |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(七)平次女難」 嶋中文庫、嶋中書店 2004(平成16)年11月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1933(昭和8)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2018-04-24 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、面白い話がありますぜ」
ガラッ八の八五郎、銭形平次親分の家へ呶鳴り込みました。
「相変らず騒々しいな、横町の万年娘が、駆落したって話なら知っているよ」
銭形の平次は、恋女房のお静に顔を当らせながら、満身に秋の陽を浴びて、うつらうつらとやっているところだったのです。
「ヘッ、そんなつまらない話じゃねえ。――ところでお静さん、――いや姐御って言うんだっけ――、親分の顔を当るのはよいが、右から左からいい男っ振りを眺めてばかりいちゃ、剃り上げないうちに、後から後から生揃って来ますぜ、ヘッヘッヘッ」
「まア、何という口の悪い八五郎さんだろう」
お静は真っ赧になって俯向きました。赤い手絡、赤い襷、白い二の腕を覗かせて、剃刀の扱いようも思いの外器用そうです。
「八、からかっちゃいけねえ。そうでなくてせえ、危なっかしくて、冷や冷やしているんだ」
「まア」
とお静。
「先刻も、止せばいいのに自分で襟を当って、少し剃刀を滑らしたんだ」
「自分の粗相にしても、姐御の頸筋へ傷を付けるのは虐たらしいねえ」
「その血染めの剃刀で俺の髭を当っているんだから、一つ間違って手が滑ると夫婦心中だ、ハッハッ、ハッ」
平次はそんな気楽なことを言ってカラカラと笑っております。
「まア」
お静はまた赧くなりました。
「だがね、親分、仲のいい夫婦だからいいようなものの、他人同士じゃ血と血が刃物の上で交るのは縁起が悪いって言いますぜ」
「そんな事を担ぐ人もあるだろうよ。第一血染めの剃刀で当られちゃ気味が良くないやネ、――ところで八、手前が触れ込んで来た面白い話ってえのは何だい」
平次は職業意職に返りました。当った後の顔を洗って、綺麗に拭き取ると、煙管を伸して、縁側の日向へ煙草盆を引寄せます。
「あッ、忘れていた」
ガラッ八は自分の掌でピシリと頬を叩きました。人間は少し甘いが、不思議にいい耳を持ったガラッ八は、平次にとっては申し分のない見る目嗅ぐ鼻だったのです。
「忘れるようじゃ、どうせ大した話じゃあるまい」
と平次。
「ところが大変なんで。野垂れ死をした若い物貰いが、百両持っていたんだから驚くでしょう。自慢じゃないがこちとらは、人様の袖に縋ったおぼえはないが、どうかすると百文も持っていねえことがある」
「自分に引きくらべる奴があるかい、――だが、筋は面白そうだね、もう少し詳しく話してみるがいい」
平次も少し乗出しました。
「たったそれっきりの話さ、種も仕掛もねえところがこの話の取柄で」
「種も仕掛もねえことがあるものか、貰い溜めたにしても百両は大金だ。五年や十年で溜まるわけはねえ、――今お前、若い物貰いと言ったろう」
「なあ――る、恐れ入ったね、さすがに銭形の親分だ。若い乞食が百両溜めるわけはねえとは理窟だね」
「感心していちゃいけねえ、その百両は小粒か、小判か、それとも…