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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56280 |
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副題 | 059 酒屋火事 059 さかやかじ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(三)酒屋火事」 嶋中文庫、嶋中書店 2004(平成16)年7月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1937(昭和12)年1月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2018-10-31 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分。お早うございます」
「火事場の帰りかえ。八」
「ヘエ――」
「竈の中から飛出したようだせ」
銭形平次――江戸開府以来と言われた捕物の名人――と、子分の逸足、ガラッ八で通る八五郎が、鎌倉河岸でハタと顔を合せました。まだ卯刻半(七時)過ぎ、火事場帰りの人足が漸く疎らになって、石垣の上は、白々と朝霜が残っている頃です。
「ところでどこへ行きなさるんで? 親分」
「三村屋も放火だってえじゃないか」
「ヘエ。それで実は、親分をお迎えに行くところでしたよ」
「酒屋ばかり選って、立て続けに三軒も焼くのは穏やかじゃないネ」
「どこの餡コロ餅屋だか知らないが、野暮な火悪戯をしたもので――」
「馬鹿だな。そんな事を言うと、餅屋に殴られるぜ」
「ヘエ――」
ガラッ八は埃と煙で汚れた、長い顎をしゃくって見せました。
今年になってから、ほんの半月ばかりの間に、神田中だけでも三ヶ所の放火があった――最初の一つは、正月八日の夜半過ぎ、浜町の大黒屋で、これは夜廻りが見つけてボヤですましたが、二度目のは、中四日おいて正月の十三日、外神田松永町の小熊屋で、これは、着のみ着のままで飛出したほどの丸焼け、三度目は正月十八日、――正確に言えば十九日の暁方、鎌倉町の三村屋が丸焼け、そのうえ小僧が一人焼け死んで、女房のお久は、二階から飛降りて大怪我をしてしまいました。
「三軒揃って酒屋は変じゃありませんか。そのうえ三軒とも薪と炭を商い、三軒とも夜中過ぎの放火だ」
「フム」
「それから、三の日と八の日を選ったのもおかしいじゃありませんか。御縁日か稽古日じゃあるまいし」
「面白いな、八。他に気のついたことはないか」
「そんな事をするのは、酒嫌いな奴でしょう、どうせ」
「ハッハッハッ。お前の智恵はそんなところへ落着くだろうと思ったよ――とにかく行ってみよう。笑いごとじゃない。――お前も来るか」
「ヘエ――」
ガラッ八は疲れも忘れた様子で、忠実な犬のように従いました。
三村屋の焼跡は、見る眼も惨憺たる有様でした。まだ板囲いも出来ず、灰も掻かず、ブスブス燻る中に、町内の手伝いと、火事見舞と、焼跡を湿している鳶の者とがごった返しております。
「親分、亭主の安右衛門が来ましたよ」
ガラッ八が袖を引かなかったら、平次もうっかり見遁したことでしょう。汗と埃と、煤と泥と、そのうえ血と涙とに汚れた安右衛門の顔は、まことに、日頃の寛闊な旦那振りなどは、薬にしたくも残ってはいなかったのです。
「三村屋さん、災難だったね」
「お、親分さん――御覧の通り、私も三十年の働きが無駄になりました。明日からは乞食にでもなる外はありません」
「まア、そんなに力を落したものじゃない。町内でも、親類方でも、まさか捨てておくはずもないから」
「有難うございます。が親分さん、これが仲間や他人なら、痩我慢も申しますが、親分の前…