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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題082 お局お六
082 おつぼねおろく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(七)平次女難」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年11月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1938(昭和13)年11月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者結城宏
公開 / 更新2019-03-18 / 2019-02-22
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 紅葉はちょうど見ごろ、差迫った御用もない折を狙って、銭形平次は、函嶺まで湯治旅と洒落ました。
 十手や捕縄を神田の家に残して、道中差一本に、着替えの袷が一枚、出来るだけ野暮な堅気に作った、一人旅の気楽さはまた格別でした。
 疲れては乗り、屈託しては歩き、十二里の長丁場を楽々と征服して、藤沢へあと五六町というところまで来たのは、第一日の申刻(四時)過ぎ――。
「おや?」
 平次はフト立停りました。
 道中姿の良い年増が一人、道端の松の根元に、伸びたり縮んだり、歯を喰いしばって苦しんでいるのです。
「どうなすった、お神さん?」
 ツイ傍へ寄って、顔を差覗いた平次。
「お願い、――み、水を――」
 斜めに振り上げて、乱れかかる鬢の毛を、キリキリと噛んだ女の顔は、そのまま歌舞伎芝居の舞台にせり上げたいほどの艶やかさでした。
「癪を起したというのか、――そいつは厄介だが、――待ちな、今、水を持って来てやる、反っちゃならねえ、どっこい」
 平次は女の身体を押付けていた手を離すと、ツイ十五六間先の百姓家へ飛んで行きました。まごまごする娘っ子を叱り飛ばすようにして、茶碗を一つ借りると、庭先の井戸から水を一杯くんで、元の場所へ取って返します。
 その忙しい働きのうちに、街道筋はしばらく人足が絶えて、浪人者が二三人、うさんな眼を光らせて通っただけ――。
「おや?」
 平次はもう一度目を見張りました。ツイ今しがたまで、松の根方にもがき苦しんでいた、道中姿の良い年増が、どこへ消えてなくなったか、影も形も見えなかったのです。
 狐につままれたような心持で、藤沢の宿に入ると、旅籠だけは思い切り弾んで、長尾屋長右衛門の表座敷を望んで通して貰いましたが、足を洗って、部屋に通ると、懐中へ手を入れた平次は、
「おやおや、そんなものが望みだったのか、手数のかかる芝居をしたものじゃないか」
 思わず苦笑いをしたのも無理はありません。頸からブラ下げた財布が、いつの間にやら、見事に切取られていたのです。
「どうなさいました、お客様」
 入って来た番頭は、平次の頸にブラブラと下がった紐に驚いたのでしょう。
「ハッハッハッ、巾着切りにやられたよ、江戸者も旅に出ちゃ、からだらしがねえ」
「それは大変じゃございませんか」
 腰を浮かす番頭。
「騒ぐほどのことじゃないよ、番頭さん、取られたのは、ほんの小出しの銭が少しばかりさ。まだ小判というものをうんと持っているから、旅籠賃の心配はさせねえ」
 平次はそんな事を言ってカラカラと笑いますが、盗られた財布の中味は、正直のところ、路用から湯治の雑用を併せて三両二分ばかり、あとに残ったのは、煙草入に女房のお静が入れてくれた、たしなみの小粒が三つだけです。
「お役人に申しましょうか」
「いや、それにも及ぶめえよ」
 江戸の高名な御用聞、銭形の平次が巾着切りにしてや…

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