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![]() ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56291 |
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副題 | 037 人形の誘惑 037 にんぎょうのゆうわく |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(一)平次屠蘇機嫌」 嶋中文庫、嶋中書店 2004(平成16)年5月20日 |
初出 | 「オール讀物 第五卷第二號」文藝春秋社、1935(昭和10)年2月1日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2018-07-29 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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一
新吉は眼の前が真っ闇になるような心持でした。二年越し言い交したお駒が、お為ごかしの切れ話を持出して、泣いて頼む新吉の未練さを嘲るように、プイと材木置場を離れて、宵暗の中に消え込んでしまったのです。
――父親が聴いてくれないから、末遂げて添う見込みはない。出世前のお前さんに苦労をさせるより、今のうちに切れた方がいい――というのは、十八や十九の若い娘の分別というものでしょうか。
――父親が不承知は今に始まったことではない、版木彫りの下職に、なにほどの出世があろう――と詰め寄ると、お駒は唯もう父親の不承知一点張で、取付く島もないような冷たい顔をして、――これからは逢っても口を利いておくれでない、つまらない噂を立てられると、お互のためにもならないから――そんな念入りな事まで言って、美しいおもかげだけを残して、一陣の薫風のように立去ったのでした。
「新さん」
不意に、後ろから声を掛けた者があります。
「…………」
黙って材木から顔を離して振り返ると、肩のあたりへ近々と、お駒の継母のお仙が、連れ子の少し足りない定吉と一緒に、心配そうに立っているのでした。濡手拭を持っているところを見ると、町内の銭湯へ行った帰り、夜遊びに出た愚かな倅と一緒になったのでしょう。もう十九にもなる定吉は母親の後ろから顔を出して、大の男の泣くのを、世にも不思議そうに眺めております。
「新さん、お前さんは可哀想だね。――聴いちゃ悪いと思ったけれど、出逢頭で、逃げることも隠れることも出来ないんだもの、みんな聴いてしまったよ」
「…………」
「あの娘はね、あのとおりの気性者だから、お前さんの気持も考えずに、ポンポン切れ話をするんだろう」
「…………」
「新さん、お前さんの前だから言うんじゃないが、私は蔭ながら随分骨を折った積りさ。生さぬ仲の遠慮はあるにしても、あんまり勝手で見ていられないから、――どんな事があっても、新さんを捨てちゃ冥利が悪い、もう一度考え直すように――ってネ」
お仙は新吉の背でもさすってやりたい様子でした。房五郎の後添い、お駒のためには継母に相異ありませんが、本当によく出来た人で、三十八九にしては若々しい容貌と共に、町内でも褒めものの女房だったのです。
「…………」
新吉は恐ろしい激情に打ちひしがれて、口もきけない様子でした。二十一にもなっているくせに、気の弱い生れ付きで、男前でも立派でなければ、親分手合の房五郎の娘と、割ない仲になるような、大した貫禄の人間ではなかったのです。
「新さん、短気を起しちゃいけないよ、またそのうちに良い話があるかも知れない。――私じゃ大した力にもならないが、夫の罪亡ぼしもあることだから、出来るだけの事はしてあげたい」
せめてこの母親の半分もお駒に真心があったら――と新吉はまた新しい涙を誘われました。
「おっ母ア、帰ろうよ」
倅の定吉…