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![]() ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56292 |
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副題 | 063 花見の仇討 063 はなみのあだうち |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(一)平次屠蘇機嫌」 嶋中文庫、嶋中書店 2004(平成16)年5月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1937(昭和12)年5月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2020-08-07 / 2020-07-27 |
長さの目安 | 約 28 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分」
ガラッ八の八五郎は息せき切っておりました。続く――大変――という言葉も、容易には唇に上りません。
「何だ、八」
飛鳥山の花見帰り、谷中へ抜けようとする道で、銭形平次は後ろから呼止められたのです。飛鳥山の花見の行楽に、埃と酒にすっかり酔って、これから夕陽を浴びて家路を急ごうという時、跡片付けで少し後れたガラッ八が、毛氈を肩に引っ担いだまま、泳ぐように飛んで来たのでした。
「親分、――引っ返して下さい。山で敵討がありましたよ」
「何?」
「巡礼姿の若い男が、虚無僧に斬られて、山は煮えくり返るような騒ぎで」
「よし、行ってみよう」
平次は少しばかりの荷物を町内の人達に預けると、獲物を見つけた猟犬のように、飛鳥山へ取って返します。
柔かな夕風につれて、どこからともなく飛んでくる桜の花片、北の空は紫にたそがれて、妙に感傷をそそる夕です。
二人が山へ引っ返した時は、全く文字どおりの大混乱でした。異常な沈黙の裡に、掛り合いを恐れて逃げ散るもの、好奇心に引ずられて現場を覗くもの、右往左往する人波が、不気味な動きを、際限もなく続けているのです。
「退いた退いた」
ガラッ八の声につれて、人波はサッと割れました。その中には早くも駆けつけた見廻り同心が、配下の手先に指図をして、斬られた巡礼の死骸を調べております。
「お、平次じゃないか。ちょうどいい、手伝ってくれ」
「樫谷様、――敵討だそうじゃございませんか」
平次は同心樫谷三七郎の側に差寄って、踏み荒した桜の根方に、紅に染んで崩折れた巡礼姿を見やりました。
「それが不思議なんだ、――敵討と言ったところで、花見茶番の敵討だ。竹光を抜き合せたところへ、筋書どおり留め女が入って、用意の酒肴を開こうという手順だったというが、敵の虚無僧になった男が、巡礼の方を真刀で斬り殺してしまったのだよ」
「ヘエ――」
平次は同心の説明を聴きながらも、巡礼の死体を丁寧に調べてみました。笠ははね飛ばされて、月代の青い地頭が出ておりますが、白粉を塗って、引眉毛、眼張りまで入れ、手甲、脚絆から、笈摺まで、芝居の巡礼をそのまま、この上もない念入りの扮装です。
右手に持ったのは、銀紙貼りの竹光、それは斜っかいに切られて、肩先に薄傷を負わされた上、左の胸のあたりを、したたかに刺され、蘇芳を浴びたようになって、こと切れているのでした。
「身元は? 旦那」
平次は樫谷三七郎を見上げました。
「すぐ解ったよ、馬道の糸屋、出雲屋の若主人宗次郎だ」
「ヘエ――」
「茶番の仲間が、宗次郎が斬られるとすぐ駆けつけた。これがそうだ」
樫谷三七郎が顎で指すと、少し離れて、虚無僧が一人、留め女が一人、薄寒そうに立っているのでした。
そのうちの虚無僧は、巡礼姿の宗次郎を斬った疑いを被ったのでしょう。特に一人の手先が引き添って、スワと言わば、縄も打ち…