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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56310 |
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副題 | 030 くるい咲き 030 くるいざき |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(四)城の絵図面」 嶋中文庫、嶋中書店 2004(平成16)年8月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1934(昭和9)年7月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2018-06-04 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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一
相変らず捕物の名人の銭形平次が、大縮尻をやって笹野新三郎に褒められた話。
その発端は世にも恐ろしい「畳屋殺し」でした。
「た、大変ッ」
麹町四丁目、畳屋弥助のところにいる職人の勝蔵が、裏口から調子っぱずれな声を出します。
「何だ、また調練場から小蛇でも這い出して来たのかい」
と、その頃は贅の一つにされた、「猿屋」の房楊枝を横ぐわえにして、弥助の息子の駒次郎が、縁側へ顔を出しました。
「それどころじゃねえ」
「町内中の騒ぎになるから、少し静かにしてくれ。麹町へ巨蟒なんか出っこはねえ」
「今度のは巨蟒じゃねえ、丈吉の野郎が井戸で死んでいるんだ」
「なんだと」
駒次郎は、跣足で飛降りました。そこから木戸を押すとすぐ釣瓶井戸で、その二間ばかり向うは、隣の屋敷と隔てた長い黒板塀になっております。
丈吉の死体は、井戸端にくみ上げた釣瓶に手を掛けて、そのまま崩折れたなりに冷たくなっていたのでした。
抱き起してみると、右の眼へ深々と突き立ったのは、商売物の磨き抜いた畳針。
「あッ」
駒次郎も驚いて手を離しました。
「ね、兄哥、丈吉の野郎が、何だって畳針を眼に突っ立てたんでしょう」
「そんな事は解るものか。親父へそう言ってくれ」
「親方はまだ寝ていますぜ」
「そんな事に遠慮をする奴があるものか」
勝蔵が主人の弥助を起して来ると、井戸端の騒ぎは際限もなく大きくなって行きます。
変死の届出があると、町役人が立会の上、四谷の御用聞で朱房の源吉という顔の良いのが、一応見に来ましたが、裏木戸やお勝手口の締りは厳重な上、塀の上を越した跡もないので、外から曲者が入った様子は絶対にないという見込みでした。
それに、丈吉はなかなかの道楽者で諸方に不義理の借金もあり、年中馬鹿馬鹿しい女出入りで悩まされていたので、十人が十人、自害を疑う者はありません。
「持ち合せた畳針で眼を突いて、井戸へ飛込むつもりだったんだね。ところがここまで来ると力が脱けて井戸へ飛込む勢いもなくなった――」
朱房の源吉は独り言を言いながら、もっともらしくその辺を見廻したりしました。
「親分の前だが、こいつは自害じゃありませんぜ」
不意に横合から、変な口を利く奴があります。
「なんだと?」
振り返るとそこに立っているのは、銭形の平次の子分で、お馴染のガラッ八、長い顔を一倍長くして、源吉の後ろから、肩へ首を載っけるように覗いているのでした。
「ね、朱房の親分、井戸へ飛込んで死ぬ気なら、何も痛い思いをして、眼なんか突かなくたっていいでしょう」
「何?」
「それに、商売柄、縄にも庖丁にも不自由があるわけはねえ」
八五郎は少し調子に乗りました。さすがに死体には手は着けませんが、遠方から唇を尖らせ、平次仕込みの頭の良いところをチョッピリ聴かせます。
「手前は何だ」
「ヘエ――」
「どこから潜って来やが…