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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56315 |
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副題 | 053 小唄お政 053 こうたおまさ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(六)結納の行方」 嶋中文庫、嶋中書店 2004(平成16)年10月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1936(昭和11)年7月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2017-09-02 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 30 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「八、たいそう手前は粋になったな」
「からかっちゃいけません、親分」
八五郎のガラッ八は、あわてて、膝っ小僧を隠しました。柄にない狭い単衣、尻をまくるには便利ですが、真面目に坐り直すと、帆立て尻にならなければ、どう工面をしても膝っ小僧がハミ出します。
「隠すな、八、ネタはちゃんと挙がってるぜ」
銭形平次は構わずに続けました。
「ヘッ、ヘッ、どの口のネタで?」
「いやな野郎だな、顎なんか撫でて、――近頃手前、遠吠えの稽古をするってえ話じゃないか」
「遠吠えは情けねえ。誰がそんな事を親分に言い付けたんで」
ガラッ八は少しばかり意気込みました。
「手前の伯母さんだよ。――今朝お勝手口へ顔を出して、お静に愚痴を聞かせていたぜ――酒や女の道楽と違って、若い者の稽古所入りが悪いではありませんが、家へ帰って来て唸られると気が滅入ります。糠味噌は蓋に仔細はございませんが、あんな調子っ外れの遠吠えを聞かされたら、どんな気の強い娘も寄り付かないだろうと思うと、可哀想でなりません。御存じの通り、あれはまだ独り者ですから――だとさ。どうだい八、伯母さんは苦労人だろう。あんまり心配さしちゃならねえよ」
「チェッ、憚りながら娘っ子除けの禁呪に小唄をやっているんだ。心配して貰いたくねえ」
ガラッ八はそう言いながらも、耳の後ろをポリポリ掻いております。
「そうだろうとも、だから俺は言ってやってよ。――伯母さんの若い時と違って、この節はあんなのが流行るんだ――てね、小唄一つ歌うんだって、鼻っ先や喉で転がすんじゃねえ。八の野郎は胆っ玉で歌うに違えねえ。――」
銭形平次に悪気があるわけでなかったのですが、伯母の口吻から察して、ガラッ八の八五郎が小唄の師匠に気がありそうにも取れたので、それとはなしに脈を引いて、意見をするものなら、今のうちに意見をしようと思ったのです。
「親分、本当のことを言うと、こいつにはワケがありますよ」
「そうだろうとも。二日も行かなきゃ、師匠の小唄お政が、迎えをよこすほどだって言うから、ワケだって大ありだろうよ」
「嫌だね。伯母さんが、そんな事までブチまけたんですかい」
「人に意見などをする歳じゃねえが、小唄お政じゃお職すぎる。止す方が無事だぜ、八」
銭形平次は漸く真顔を取戻しました。からかったり、ふざけたり、叱ったりするうちにも、子分の八五郎を思う真情が、行き渡らぬ隈なき心持だったのです。もっとも、親分子分といっても、歳からいえば、幾つも違わない二人です。時々真剣さが顔を出してくれなければ、際限もなく洒落のめして、隔ても見境もなくなりそうな仲でもあったのでした。
「それは心得ていますよ、親分。芝居小唄の千之介、六郎兵衛はともかく、江戸じゃ、お寿とお政は女師匠の両大関だ。吉原から浅草一円、柳橋へかけての弟子だけでも、千人ずつはあると言われるお政が、下っ引の…