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随筆銭形平次
ずいひつぜにがたへいじ
作品ID56324
副題18 平次読む人読まぬ人――三人の政治家――
18 へいじよむひとよまぬひと――さんにんのせいしか――
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(六)結納の行方」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年10月20日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-12-02 / 2019-11-23
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 吉田首相が「銭形平次」を読むとか読まないとかで、かなりうるさい問題を巻き起こした。吉田首相にとっては、随分迷惑なことであったに違いないが、「銭形平次」にとって、冷やかしの種にはなったが、良い宣伝にもなったことは確かである。かつて二十世紀のはじめの頃、ドイツで素晴らしい人気を博した、美しい歌い手のジェラルディン・ファーラーが、時の皇太子(後のカイゼル)と浮名を流し、一時は大変な評判になったことがあるが、その噂が下火になった時、新聞記者の臆面もないのが、その真相を訊ねると、ファーラー少しも騒がず「確かに宣伝にはなったワ」と軽くいなしたという欧羅巴交際社会の一つの話がある。
 銭形平次に関する噂も、吉田首相は迷惑をしたことであろうが、私にとっては、ファーラーくらいの軽い気持になって一向差支えはあるまいと思う。吉田首相にしても、毎朝有難いお経を読むとか、ジイドの『狭き門』を愛読するとか、ありそうもない噂を立てられるより「銭形平次」の方が、どんなに気が楽かもわからないのである。
 私はある結婚の披露式で、吉田首相に一度逢ったことがある。その印象によれば、少し皮肉っぽいが、座談も巧みで、なかなか好感の持てる老人であった。世の政治家という概念からみると、非常にうち解けた感じで、私は四十年前政治記者として、明治大正の多くの政治家にも逢っているが、その中では、何人かの親しみ深い政治家の一人といえるだろう。この人柄は単純で強さは感じさせるが、世にいう政治家らしい空々しさや無気味なところはなく、私の老妻が、首相を前にして、「お目にかかるまで、怖いお方かと思っておりました」と無遠慮なことをいうと、吉田首相莞爾と受けて「実際お逢いになってみると少しも怖くはないでしょう」とすこぶる上機嫌であった。その時一座したお歴々は、自由党の幹部会ほどの顔ぶれであったが、その中で、抜群の座持ちは吉田首相であり、諧謔に富んだ明るい応酬は、なかなかに忘れ難い。やはり外交官としても、一流の人であったという感じであった。
 もし首相が、文学青年的な愛読書を列挙したとしたら、一部の青白きインテリは喜ぶかもしれないが「銭形平次」を読むと言い切ったほどの人気は湧かなかったであろう。「銭形平次」の著者なる、私がそう考えることを許してもらいたい。



 もう一人かつての総理大臣芦田均君は、一高で席を並べた、間違いもない私の同窓の一人である。彼は総理大臣になったかもしれないが、私にとってはただの芦田君で、逢えばお前仕掛で話すのも、旧友の誼みというものだろう。
 もっとも芦田君は、ある文学者の会合で、チェホフについて蘊蓄を傾け、三十分以上も論じたという、文学好き政治家としての記録保持者である。その時の拝聴者たちは、随分当てられた様子であり、にがにがしがったロシア文学の専門家もあったらしいが、ともかく文筆で御飯…

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