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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID56355
副題118 吹矢の紅
118 ふきやのべに
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(十二)狐の嫁入」 嶋中文庫、嶋中書店
2005(平成17)年6月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2020-11-06 / 2020-10-28
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 銭形平次はお上の御用で甲府へ行って留守、女房のお静は久し振りに本所の叔母さんを訪ねて、
「しいちゃんのは鬼の留守に洗濯じゃなくて、淋しくなってたまらないから、私のようなものを思い出して来てくれたんだろう」などと、遠慮のないことを言われながら、半日油を売った帰り途、東両国の盛り場に差しかかったのは、かれこれ申刻(四時)に近い時分でした。
 平次と一緒になる前、一二年ここの水茶屋で働いていたお静は、両国へ来ると――往来の人の顔にも両側の店構えにも、いろいろと古い記憶が蘇生ります。今の幸福さに比べて、それは決して甘い思い出ではなかったにしても、その記憶の中に織込まれている平次の若いおもかげや、今は行方も知れなくなった多勢の朋輩たちのことなどが、涙ぐましく懐かしく思い出されるのです。
「まア」
 その中にも、軽業の玉水一座の絵看板がお静の注意をひきました。花形の太夫は小艶という二十四五の女で、かつては水茶屋のお静と張り合った両国第一の人気者。身持の方は評判の良い女ではありませんでしたが、芸と容貌は抜群で、わけてもその綱渡りは名人芸でした。
 もう一人小染というのが同じ玉水一座におります。もう二三年会ったこともありませんが、お静とは年齢の隔たりを越えての仲好しで、芸の修業の辛さを、泣きながら訴えた小娘時代のことが、昨日のことのように思い出されます。もう十九か二十の立派な女太夫になっていることでしょう。これは吹矢の名人で、数十歩を隔てて木綿糸に吊った青銭の穴に射込むという凄い芸の持主でした。
「おや?」
 お静は物に脅えたように立止まりました。
 軽業小屋の中は煮えくり返るような騒ぎで、一パイに入ったお客は、興奮しきった顔をして木戸から外へ追い出されております。
「可哀想じゃないか、あんな結構な太夫を殺して、――過ちで墜ちたのかと思ったら、こめかみへ吹矢が突っ立っていたんだってネ」
「過ちで落ちるような太夫じゃないよ、綱の上で昼寝をしたという小艶だ」
 そんな群集の話を聴くと、お静はハッと立ち縮みました。玉水一座の花形太夫小艶が、綱の上で何か間違いをしたのでしょう。小艶が渡った高綱、――舞台の上六七間もあるところへ張り渡して客の頭の上まで乗出したのから落ちては、怪我くらいでは済まなかったでしょう。その上、こめかみの吹矢という言葉が妙にお静の神経を焦立てます。
 楽屋裏の方へそっと廻ると、ここには表にも劣らぬ人立ちで、
「寄るな寄るな見世物じゃねエ」
 四ツ目の銅八の子分衆が、威猛高になって野次馬を叱り飛ばしております。かつては平次と張り合った御用聞――石原の利助が死んで、娘のお品が山の手に引っ越してからは、子分衆もすっかり四散してしまい、この辺は四ツ目の銅八が乗出して、銭形平次などには、指も差させまいとしているのでした。
 お静は人垣の後ろから背伸びをしていると…

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