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![]() ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56359 |
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副題 | 110 十万両の行方 110 じゅうまんりょうのゆくえ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(十一)懐ろ鏡」 嶋中文庫、嶋中書店 2005(平成17)年5月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1940(昭和15)年6月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2019-09-04 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、飯田町の上総屋が死んだそうですね」
ガラッ八の八五郎は、またニュースを一つ嗅ぎ出して来ました。江戸の町々がすっかり青葉に綴られて、時鳥と初鰹が江戸っ子の詩情と味覚をそそる頃のことです。
「上総屋が死んだところで俺の知ったことじゃないよ」
銭形平次は丹精甲斐もない朝顔の苗を鉢に上げて、八五郎の話には身が入りそうもありません。
「ところが、聞き捨てにならないことがあるんですよ、親分」
「上総屋の死に様が怪しいとでも言うのか」
「二年も前から癰を患っていたっていうから、人手にかかって死んだとすれば、町内の外科が下手人みたいなもので――」
「落し話を聴いちゃいない、――何が聞き捨てにならないんだ」
平次はようやく朝顔から注意を外らせました。
「金ですよ、親分。上総屋音次郎が、鬼と言われながら、一代にどれほどの金を拵えたと思います?」
ガラッ八はなかなかの話術家です。平次が滅多な事件に手を染めないのを知って、こう乗出さずにはいられないように持ちかけるのでした。
「五六万両かな、――有るようでないのは何とかだと言うから、せいぜい三万両ぐらいのところかな」
「そう思うでしょう。ね、親分」
「イヤにニヤニヤするじゃないか、それとも十万両もあったというのかい。こちとらから見れば十万両は夢のような大金だが、上総屋なら」
平次はガラッ八に焦らされると知って、忌々しくも煙草入を抜いて一服つけました。
「もっともこちとらに十万両もあった日にゃ、あっしはさっそく十手捕縄と縁を切って――」
ガラッ八の話は、また妙なところへ飛躍して行きます。
「金貸にでもなって懐ろ手で暮すつもりだろうが、そうは問屋が卸さないよ」
「そんなサモしい根性じゃありませんよ。まず山の手の百姓地を五六万坪買って――」
「大きく出やがったな、人参牛蒡でも作る気になったか」
「大違い、――親分に植木屋を始めて貰って、あっしはそれを江戸の縁日へ持出して売る」
「馬鹿だなア」
平次は仕様ことなしに苦笑をしました。そんな気でいる八五郎の心根が哀れでもあったのです。
「ね、親分。冗談は冗談として、上総屋の話だが、――誰でも一応は万と纏まった金があるに違いないと思うでしょう」
「それがどうした」
「死んでしまった後で、番頭や親類の者が、熊鷹眼で捜したが、不思議なことにあるものは借金ばかり。何万とあるはずの金が、たった十両もないと聴いたら驚くでしょう」
「驚くよ、――お前の義理でも驚かなくちゃ悪かろう、それからどうした」
「たったそれだけだが、ちょいと変じゃありませんか親分。神田から番町へかけて、並ぶ者のないと言われた上総屋音次郎が、死んで一文もないなんざ、皮肉すぎますよ」
「捜しようが悪かったんだろう」
「そんなはずはありません。床下から天井裏まで捜したんだそうで」
「それとも主人が死ぬと一緒に、誰か…