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![]() ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56370 |
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副題 | 111 火遁の術 111 かとんのじゅつ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(十二)狐の嫁入」 嶋中文庫、嶋中書店 2005(平成17)年6月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1940(昭和15)年7月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2020-08-18 / 2020-07-27 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、良い陽気じゃありませんか。植木の世話も結構だが、たまには出かけてみちゃどうです」
ガラッ八の八五郎は、懐ろ手を襟から抜いて、虫歯が痛い――て恰好に頬を押えながら、裏木戸を膝で開けてノッソリと入って来ました。
「朝湯の帰りかえ、八」
平次は盆栽の世話を焼きながら、気のない顔を挙げます。
「へッ、御鑑定通り。手拭が濡れているんだから、こいつは銭形の親分でなくたって、朝湯と判りますよ」
「馬鹿だなア、手拭は俺から見えないよ、腰へブラ下げているんだろう、――番太や権助じゃあるめえし、良い若え者が、手拭を腰へブラ下げて歩くのだけは止しなよ。見っともねえ」
「こいつは濡れているから肩に掛けられませんよ、――いつか手に持って歩くと、不動様の縄じゃあるめえ、そんな不粋な恰好は止すがいい――って、親分に小言を言われたでしょう」
「よく覚えていやがる」
「躾の良い児は違ったもので――」
「手拭をよく絞らないからだよ、海鼠のようにして歩くから扱いにくいんだ。第一その鬢がグショ濡れじゃないか、水入りの助六が迷子になったようで、意気すぎて付合いきれないぜ」
「あ、これですかえ。なるほど朝湯の証拠が揃ってやがる」
ガラッ八は腰から海鼠のような手拭を抜いて、鬢のあたりをゴシゴシとやりました。
「自棄に擦ると、小鬢が禿げ上がって、剣術使いのようになるぜ」
「鬢のほつれは、枕のとがよ――と来た」
「馬鹿だなア」
平次は腰を伸ばして、しばらくはこの楽天的な子分の顔を享楽しておりました。
「ところで親分」
「なんだい」
「不動様で思い出したが、今日は道灌山に東海坊が火伏せの行をする日ですよ。大変な評判だ、行ってみませんか」
「御免蒙ろうよ。どうせ山師坊主の興行に極っているようなものだ。行ってみるとまたとんだ殺生をすることになるかも知れねエ」
平次は御用聞のくせに、引込み思案で、弱気で、十手捕縄にモノを言わせることが嫌で嫌でならなかったのです。
「火伏せの行だから、火難除けになりますよ」
「家は借家だよ。焼けたって驚くほどの身上じゃねえ」
「呆れたもんだ――家は借家でも、火の車には悩まされ続けでしょう。こいつも火伏せの禁呪でどうかなりゃしませんか」
ガラッ八は自分の洒落に堪能して顎の下から出した手で、しきりに顔中を撫で廻しております。
「なるほど、そいつは耳寄りだ。火の車除けの有難いお護符が出るとは知らなかったよ。ブラリブラリと行ってみようか、八」
「有難え。今日の道灌山はうんと人出があるから、何か面白いことがあるような気がしてならねえ」
「火除けの行だから、キナ臭かったんだろう」
「違えねえ」
道灌山へ平次と八五郎が向ったのは、悠々と昼飯を済ましてから、火伏せの行が始まるという申刻(四時)時分には、二人は無駄を言いながら若葉の下の谷中道を歩いておりました。
二
…