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![]() ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 56378 |
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副題 | 125 青い帯 125 あおいおび |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(十三)青い帯」 嶋中文庫、嶋中書店 2005(平成17)年7月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年9月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2019-09-24 / 2019-11-08 |
長さの目安 | 約 27 ページ(500字/頁で計算) |
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一
その晩、代地のお秀の家で、月見がてら、お秀の師匠に当る、江戸小唄の名人十寸見露光の追善の催しがありました。
ちょうど八月十五夜で、川開きから三度目の大花火が、両国橋を中心に引っ切りなしに打揚げられ、月見の気分には騒々しいが、その代りお祭り気分は、申分なく満点でした。
追悼といったところで、改まった催しではなく、阿呆陀羅経みたいなお経をあげ、お互に隠し芸を持ち寄って、飲んで食って、花火が打ち止んだ頃お開きにすればそれでよかったのです。神祗釈教恋無常を一緒くたにして、洒落のめしてその日その日を暮している江戸時代の遊民たちは、遊ぶためには法事も祝言も口実に過ぎなかったのです。
お秀は代地の船宿の娘で、今年二十四の、咲き過ぎた年増でしたが、自分の容貌に溺れて、嫁ぎ遅れになり、両親の死んだ後は、船宿の株を人に譲って、有り余る金を費い減らすような、はなはだ健康でない生活を続けているのでした。
折悪しくその日は昼過ぎから大夕立、一としきりブチまけるように降りましたが、暮近い頃から綺麗に上がって、よく洗い抜かれた江戸の甍の上に、丸々と昇った名月の見事さというものはありません。
話はその大夕立の時から始まります。
お秀と仲好しで、向柳原の油屋の娘お勢という十九になる可愛いのが、少しでも早く行って、お秀さんに手伝って上げようと思ったばかりに、うっかり傘を忘れて飛び出し、柳橋の手前であの大夕立に逢ったのです。
ブチまけるような雨足で、逃げも隠れもする隙がありません。夢中で飛び込んだ軒下は運悪く空店で、その先は材木置場、二三軒拾って安全な場所へ辿り着くまでに、お勢の身体は川から這い上がったように、思いおくところなく濡れておりました。
この夏、母親にねだって拵えて貰った、単衣の帯が滅茶滅茶になって、泣きたいような心持ですが、どうすることもできません。一度家へ帰ってともかく乾いたのと着換えて来ようと、小止みになった雨足を縫って歩き出すと、ちょうどそこへ、蛇の目をさして通りかかったのは、同じお秀のところへ行く、お紋という二十二三の中年増でした。
「まア、お勢ちゃん、大変ねエ――その姿で町を歩くと、身投げの仕損ないと間違えられるわよ。お秀さんの家はすぐそこだから、ともかく浴衣でも借りて帰っちゃどう?」
「そうね」
お勢もツイその気になりました。
雨がカラリと上がって、ピカピカしたお天道様が顔を出すと、グショ濡れの姿で江戸の町を――十九の娘が歩けようはずもありません。
お秀の家へ行くと、お秀は痒いところに手の届くような親切さでした。
「まア、ひどい目に逢ったのねエ、お勢ちゃん。気味が悪くなかったら、これを着てお出でよ。気に入ったら、お勢ちゃんに上げてもいいくらいなの」
そんなことを言いながら、お秀が自慢で着ていた、空色縮緬の単衣と、青磁色の帯とを貸してくれまし…