えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
|
作品ID | 56384 |
---|---|
副題 | 103 巨盗還る 103 きょとうかえる |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控(十一)懐ろ鏡」 嶋中文庫、嶋中書店 2005(平成17)年5月20日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1939(昭和14)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2019-06-24 / 2019-11-23 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
一
「親分の前だが、この頃のように暇じゃやりきれないね、ア、ア、ア、ア」
ガラッ八の八五郎は思わず大きな欠伸をしましたが、親分の平次が睨んでいるのを見ると、あわてて欠伸の尻尾に節をつけたものです。
「馬鹿野郎、欠伸に節をつけたって、三味線には乗らないよ」
「三味線には乗らないが、その代り法螺の貝に乗る」
「呆れた野郎だ、山伏の祈祷をめりやすと間違えてやがる」
平次は大きな舌打をしましたが、小言ほど顔が苦りきってはおりません。
「全く退屈じゃありませんか、ね親分。こんな古渡りの退屈を喰っちゃ、御用聞は腕が鈍るばかりだ。なんかこう胸へドキンと来るような事はないものでしょうか」
「御用聞が暇で困るのは、世の中が無事な証拠さ。それほど退屈なら、跣足で庭へ降りて、水でも汲むがいい、土が冷えていてとんだ佳い心持だぜ」
銭形平次は相変らず、世話甲斐のない、植木の世話に余念もなかったのです。――秋の陽は向うの屋根に落ちかけて、赤蜻蛉がわずかばかり見える空を、スイスイと飛び交わす時分、女房のお静はもう晩飯の仕度に取りかかった様子で、姐さん被りにした白い手拭が、お勝手から井戸端の間を、心せわしく往復している様子です。
「せっかくのお言葉だが、あっしが世話をすると、植木がみんな枯れっちまいますよ」
ガラッ八は良心に愧じる様子もなく、つづけざまにお先煙草をくゆらして、貧乏ゆるぎをする風もありません。
「いい心掛けだ。――その気だからだんだん縁遠くなる」
「へッ、――縁遠くなる――と来たね。驚いたね、どうも」
八五郎はニヤリニヤリと顎を撫でております。
「先刻から、退屈を売物にしているようだが、いったい何か言いたい事でもあるのかい。物に遠慮のある性質でもあるめえ。用事があるなら、さっさと言ってしまったらどうだ」
「えらいッ、さすがは銭形の親分。天地見通しだ」
「馬鹿だなア」
「ね、親分、聞いたでしょう。麹町六丁目の娘殺し」
「聴いたよ。桜屋の評判娘がゆうべ人手に掛って死んだってね。――けさ八丁堀の組屋敷へ行くとその噂で持ちきりだ」
「虐たらしい殺しでしたよ。どんな怨みがあるか知らないが、十九になったばかりの小町娘――上新粉で拵えて色を差したような娘を、鉈や鉞で殺していいものか悪いものか――」
「待ちなよ八。口惜しがるのはお前の勝手だが、煙管の雁首で万年青の鉢を引っ叩かれちゃ、万年青も煙管も台なしだ」
「だって口惜しいじゃありませんか、親分。若くて綺麗な娘は、天からの授かりものだ。それを腐った西瓜のように叩き割られちゃ――」
「解ったよ八、殺した野郎が重々悪いに異存はないが、俺を引っ張り出そうたって、そいつはいけねえよ。あの辺は十三丁目の重三の縄張だ、勝手に飛び込んで掻き廻しちゃ悪い」
平次は大きく手を振りました。そうでなくてさえ、この二三年江戸の捕物は銭形平次一人手柄で…