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みみ
作品ID56452
著者新美 南吉
文字遣い新字新仮名
底本 「新美南吉童話集 2 おじいさんのランプ」 大日本図書
1982(昭和57)年3月31日
初出「少国民文学」東宛書房、1943(昭和18)年5月
入力者江村秀之
校正者持田和踏
公開 / 更新2024-12-08 / 2024-12-03
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 ある晩、久助君は風呂にはいっていた。晩といっても、田舎で風呂にはいるのは暗くなってからである。風呂といっても、田舎の風呂は、五右エ門風呂という、ひとりしかはいれない桶のような風呂である。
 久助君は、つまらなそうに、じゃばじゃばと音をさせてはいっていた。風呂の中でハモニカをふくことと、歌をうたうことは、このあいだお父さんから、かたく禁じられてしまったのである。「風呂の中でハモニカをふいたり、鼻歌をうたったりするようなもんは、きっとうちの屋台骨をまげるようになる」とお父さんはいった。久助君は、加平君ところの牛小屋が、いぜん、だんだん傾いてきて、壁がかえるの腹のように外側にふくれ、とうとうある日つぶれてしまったのをよく知っていたので、自分の家があんなふうになるのはかなわないと思って、ハモニカも歌もやめてしまったのであった。
 ハモニカと歌をとりあげられてしまうと、風呂は、久助君にとって、おもしろくないことであった。何もすることがなかったのだ。
 そこで久助君は、何か一つ考えてみることにした。
 しかし考えというものは、さあ考えようといったって、たやすくうかんでくるものではない。いったいなんのことを考えたらいいだろう。
 ――さて何を考えよう、と久助君が、自分の耳をひっぱったときに、じつにすばらしい考えのいとぐちがみつかった。
 耳のことである。花市君の耳のことである。

 花市君は、ふつうの人より大きい耳をもっている。その耳は肉があつくて、柔らかくて、赤い色をしている。その二つの耳が、花市君の、まんまるな、お月さんのような顔の両側に扇子をひらいたようなぐあいについている。花市君はいつも、二つの耳のあいだで、眼をほそくしてにこにこしているのである。
 久助君たちは、よくこの花市君の耳をさわるのである。むろん久助君ばかりではない。村の子ども――といって、花市君より上級の者ばかりだが――は全部、そういうことをするのである。ほんとうは久助君は、自分からすすんでそんなことをしたおぼえはない。ただ、ひとがするので、まねてするばかりである。
 花市君の二つの耳というのが、また、みるとなんとなくさわりたくなってくるのだ。猫の背中をみると、人はなでたくなるし、赤ん坊の小っちゃい手をみると、人はそれをいじってみたくなる。それと同じで、久助君たちは花市君の耳をみると、さわりたくてむずむずしてくるのであった。
 もしだれかが、久助君の耳をさわりにきたら――そんなことがたびたびあったら、久助君は憤慨するだろう。「ぼくの耳はおもちゃじゃないぞ。ばかにするねえ!」といって、相手をつきとばすだろう。久助君じゃなくても、徳一君にしても兵太郎君にしても音次郎君にしてもそうだろう。
 ところが花市君は、いままで、おこったことがいちどもなかった。あんまり、みんなが、うるさく耳をさわりはじめると…

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