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玉章
たまずさ |
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作品ID | 56455 |
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著者 | 室生 犀星 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「犀星王朝小品集」 岩波文庫、岩波書店 1984(昭和59)年3月16日 |
初出 | 「婦人画報」1946(昭和21)年3月号 |
入力者 | 日根敏晶 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2014-04-27 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 17 ページ(500字/頁で計算) |
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故郷にて保則様、十一月二十三日の御他界から百日の間、都に通じる松並木の道を毎夜参りますうちに、冬は過ぎ春がおとずれ、いまでは、もう、松の花の気はいがするようになりました。御身さまも、なぜ、わたくしがかくも寥しい松並木の道をおとずれるかについて、きっと、奇異な思いを抱かせられることと思いますが、それをあからさまに申し上げれば、ただ紀介様にお目もじしたいばかりの夜歩きに違いないと申す外はございません。お亡くなりになられた方にお目にかかるということは変な言葉のようにきこえますけれどそれは何時も都からお越しの折に、あれらの松並木の道をおとおりになっていたということだけで、わたくしには生きた思いがいたして来るのでございます。かつての紀介様のお踏みになった土地や、お目にとまった松並木の松の木や、土手や、小さい丘や、涼しい蔭なぞには、過ぎた日の紀介様のお眼がありありとみひらかれて映ってまいります。あそこまで参れば、わたくしの耳は紀介様のお声をきくことが出来まするし、ご機嫌好かった日のお笑いごえを耳に入れることもできます。わたくしの耳は松並木にまいれば、ひとりでに赧らみ、しずかに物声にきき入ろうとする用意をするようになりました。たんに耳ばかりではございません、わたくしの五体があそこではそれぞれの記憶のなかに、手は手、胸は胸、脇の下までが別々の感じをもとめ、そして別々の思いに耽ってゆくのでございます。ことさらに胸にのこった紀介様のおからだの重みも御身様の前で申し上げるのも何となく気が負けるような気になりますけれど、人の美しいちからはどのようにしても、滅びきらないものに思われます。かつて紀介様はいつか何かのまぎれに、ふいにお仰せになったことがございました。人の思いは何百年とか何千年とかいう永い歳月をもただ、一呼吸に次の時代の人に移ってあらわれることがあるものだ、まるできのう考えたような新しい思いをそのままに移しかえてくるから妙だ、人間の考えたものの前では、永い歳月などというものは有りえない、よい人間の考えたことは全く今すぐに思いついたことと同じ程度に新しいのだ、と、こういうふうに仰有ったことがありました。実際人間は亡くなっても、それを考えるときはすぐきのうお亡くなりになったとしか思われないくらい近い日を考えるようになるものでございます。
こういう毎夜のわたくしの歩みはいつも、松並木のなかばまで参りました時に、きっと一応立ち停まって見るのがつねでございました。それは前のたまずさにお示ししたようにふしぎな一つ家の灯びがもとでございました。どういう晩にも点れていない日はなく、そして決ってわたくしが館近くにもどりかけ、灯びにうしろを見せる時分にふっと消えるのが毎晩の例でございました。保則さま、ご免あそばせ、しまいにわたくしは御身様があそこにお住みになられているのではないかと、そんな…