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姫たちばな
ひめたちばな
作品ID56459
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「犀星王朝小品集」 岩波文庫、岩波書店
1984(昭和59)年3月16日
初出「日本評論」1941(昭和16)年3月号
入力者日根敏晶
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-12-26 / 2014-09-16
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 はじめのほどは橘も何か嬉しかった。なにごともないおとめの日とちがい、日ごとにふえるような一日という日が今までにくらべ自分のためにつくられていることを、そして生きた一日として迎えることができた。日というものがこんなに佳く橘に人事でなく存在していることが、大きな広いところにつき抜けて出た感じであった。日の色に藍の粉がまじってゆく少し寒い早春の夕つ方には、きまって二人の若者が何処からか現れては、やっと小枝に艶と張りとを見せはじめた老梅の木の下に、しのぶずりの狩衣に指貫の袴をうがち、烏帽子のさきを梅の枝にすれすれにさわらし、遠慮深げな気味ではあったが、しかし眼光は鋭く、お互に何の思をとどけに来ているかを既に見貫いている、激しい顔色をしていた。一人は西の方の築地に佇み、一人は東寄りの角の築地のかげに立っていた。一人が山梔子色の狩衣をつけていれば、一人は同じ山吹色の折目正しい狩衣を着ていた。次の夕方に一人が蘇芳の色の濃い衣をきてくれば、べつの若者はまたその次の日の夕方には、藤色とも紫苑の色にもたぐうような衣をつけ、互の心栄えに遅れることがなかった。また、時には少年の着るような薄色の襲を覗かした好みを見せれば、次の夕方には、もう一人の男もそれに似合うた衣を纏うていた。一人がなよやかな気高い香を贈るために女房連に頼み入れば、一人は七種香の価高いものを携えてこれを橘の君に奉れと申し出るのであった。和泉の山奥の百合根をたずさえる一人に、べつの男は津の国の色もくれないの鯛の折をしもべに担わせた。こうして通う一人は津の国の茅原という男だった。そして別の人は和泉に父をもつ猟夫であった。衣裳のはやりと絢爛を尽くした平安朝の夕々は、むしろ藍ばんだというよりも濃い紫を溶き分けた。築地の塀だけを白穂色にうかべる橘の館に、彼女を呼ばう二人の男の声によって、夕雲は錦のボロのようにさんらんとして沈んで行った。
「今宵も見えられてか。」
 橘は夜になるときまって女房に一応こう聞いて、眉をひらくような美しさを瞼のうえに見せた。
「お一人様は東寄りに、べつのお一人様は西寄りの築地のかげにまいっていられます。」
「してお召物は?」
「蘇芳に紫苑の同じお好みにございます。そしてただひと目だけでもお目もじにあずかりたいとお互に申しておられます。何とぞ、ひと目だけお目にかかられますよう。」
「お一人にお目にかかりお一人にお逢いせぬ訳にはまいられませぬ。かたくおことわりあるように。」
「それもいまになっては改めようとてもございません。」
 女房はもう手の尽くしようもなかった。どのように無下にいっても二人の若者はそれに応えることなく、夕とともに訪れをやめることはなかった。
「あなた様が直接に仰せられてはいかがでございましょう。」
「このわたくしがじかに。」
「そういたされるより外にお二人を去らせることができませぬ…

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