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怪談一夜草紙
かいだんいちやぞうし
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「綺堂随筆 江戸のことば」 河出文庫、河出書房新社
2003(平成15)年6月20日
初出「日曜報知 第百四十六號」 1933(昭和8)年3月12日
入力者江村秀之
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-10-15 / 2019-09-27
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 お福さんという老女は語る。

 わたくしのような年寄りに何か話せと仰しゃっても、今どきのお若い方々のお耳に入れるような、珍らしい変わったお話もございません。それでも長いあいだには、自分だけには珍らしいと思うようなことが無いでもございません。これもその一つでございます。
 わたくしが十七の年――文久二年でございます。その頃、わたくしの家は本郷の千駄木坂下町、どなたも御存じの菊人形で名高い団子坂の下で、小さな酒屋を開いていました。昔はあの坂に団子を焼いて売る茶店があったので、団子坂という名が残っているのだそうでございます。今日とは違いまして、その頃の根津や駒込辺は随分さびしい所で、わたくし共の住んでいる坂下町には、小笠原様の大きいお屋敷と、妙蓮寺というお寺と、お旗本屋敷が七、八軒ありまして、そのほかは町屋でございましたが、団子坂の近所には植木屋もあれば百姓の畑地もあるというようなわけで、今日の郊外よりも寂しいくらいでございました。
 その妙蓮寺というお寺の前に、浅井宗右衛門という浪人のお武家が住んでいました。なんでも奥州の白河とか二本松とかの藩中であったそうですが、何かの事で浪人して、七、八年前から江戸へ出て来て、親子ふたりでここに店借りをしていました。宗右衛門という人は、そのころ四十四、五で、御新造には先年死に別れたというので独身でした。ひとり息子の余一郎というのは二十歳ぐらいで、色の白い、おとなしやかな人でした。
 浪人ですから、これという商売もないのですが、近所の子ども達をあつめて読み書きを教えたりして、いわば手習い師匠のようなことをしていました。勿論それだけでは活計が立ちそうもないのですが、いくらか貯えのある人とみえて、無事に七、八年を送っていました。お父さんは寝酒の一合ぐらいを毎晩欠かさずに飲んでいました。
 この親子の人たちが初めてここへ越して来た時は、わたくしもまだ子供でしたから、委しいことはよく知りませんが、近所の者はこんな噂をしていたそうです。
「あの人たちも今に驚いて立ち退くだろう。」
 それには子細のあることで、その家に住む人には何かの祟りがあるとかいうので、五、六年のあいだに十人ほども変わったそうです。なかには一と月も経たないうちに早々立ち退いてしまった人もあるということでした。一体どんな祟りがあるのか、わたくしもよく知りませんが、ともかくも五、六年のあいだに、その家からお葬式が三度出たのは、わたくしも確かに知っています。浅井さんの親子もそれを承知で借りたのです。そんなわけですから、家賃はむろん廉かったに相違ありません。家賃の廉いのに惚れ込んで、あんな化け物屋敷のような家へ住み込んでは、いくらお武家でも今に驚くだろうと、みんなが陰で噂をしていたのです。
「世の中に物の祟りなどのあろう筈がない。」と、宗右衛門という人は笑っていたそう…

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