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深川の老漁夫
ふかがわのろうぎょふ
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「綺堂随筆 江戸のことば」 河出文庫、河出書房新社
2003(平成15)年6月20日
初出「文藝春秋 第五年 第四號」文藝春秋社、 1927(昭和2)年4月1日
入力者江村秀之
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-11-15 / 2019-11-01
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 T君は語る。

 この頃は年をとって、すっかり不精になってしまったが、若いときには釣道楽の一人で、春は寒いのに寒釣りにゆく。夏は梅雨に濡れながら鯉釣りや蝦釣りにゆく。秋はうなぎや鱸の夜釣りにゆく。冬も寒いのに沙魚の沖釣りにゆく。今から思えば、ばかばかしいほどに浮き身をやつしたものであったが、これもやはり降りつづく梅雨にぬれながら木場へ手長蝦を釣りに行ったときに、土地の人から聞かされた話の一つで、江戸末期から明治の初年にかけての世界であると思ってもらいたい。
 深川の猿江に近いところに重兵衛という男が住んでいて、彼は河童といい、狐という、二つの綽名を所有していた。その本業は漁師であるが、少しく風変わりの男で、若いときに一度は女房を持ったが、なにか気に入らないというので離縁してしまって、それから後は五十を越すまで独身で押し通して来た。いや、それだけならば別に問題にもならないのであるが、重兵衛はこの二、三年来、自分自身はめったに網打ちに出たこともなければ、魚釣りに出かけたこともなく、ほとんど懐ろ手で[#「懐ろ手で」はママ]暮らしているのである。ときどきに小博奕ぐらい打つようであるが、それで遊んで暮らしていけるというほどでもない。さらに不思議なのは、前にもいう通りかれは碌々に商売に出ないのにも拘らず、いつも相当のさかなを魚籠や桶にたくわえて寝ていることである。漁師が魚を持っていれば、食うには困らない。そこで、彼は格別の働きもしないで、酒一合ぐらいには不自由なしに生きていられるのであった。
 しかし口のうるさい世間の人がそれをそのままに見逃がす筈がなかった。釣りにも網打ちにも出ない漁師が、いつも魚を絶やさないというには何かの子細がなければならない。ある者は彼が稲荷の信者であるのから付会して、重兵衛は狐を使うのであると言い出した。いや、狐ではない、河童を使うのだと言う者もあった。いずれにしても、重兵衛は狐や河童のたぐいを使役して、かれらに魚を捕らせるのではあるまいかと、近所の人たちに疑われていた。
 それについては、こういう話が伝えられた。ある夏の夜ふけに、近所の源吉という十八歳の若者が小名木川の岸へ夜釣りにゆくと、七、八間ばかりはなれたところで突然に凄まじい水音がきこえた。魚の跳ねるのではない。もしや身投げではないかと危ぶんで、水音のひびいた方角へ駈けてゆくと、芦のあいだには一人の男があぐらをかいて煙草をのんでいた。それはかの重兵衛で、今ここへ駆けつけて来る足音を聞くと、かれはにわかに起ち上がって睨むように源吉を見た。
「おじさん、今の音はなんだろうね。」と源吉は訊いた。
「なんでもない。岸の石がころげ落ちたのだ。」と、重兵衛はしずかに言った。「おれの釣場へ来て荒らしちゃいけねえ。もっとあっちへ行け。」
 それがふだんとは様子が変わって、なんだか怖ろしいようにも思わ…

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