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「引札」のはなし
「ひきふだ」のはなし |
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作品ID | 56464 |
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著者 | 久保田 万太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆75 商」 作品社 1989(平成元)年1月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2014-01-27 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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田端に天然自笑軒といふ古い料理屋がある。古いといつても、明治の、日露戦争のあとをうけた好況時代に出来たものらしいが、わたくしの二十三四、さうした場所に関心をもちはじめた時分、すでに相当、有名でもあれば、洒落れた贅沢なうちとして、一部に、ことさらな勢力をもつてゐたこともたしかだつた。いまでは、毎年、七月二十四日、芥川龍之介君の河童忌をやるうちになつてゐる。
このうちのために森鴎外先生が「引札」を書いておいでのことを、人はあんまり知らない。しかし当の自笑軒のあるじ……いまのあるじである……でさへ知らない位だから、知らないはうが当りまへかも知れない。わたくしといへども、『鴎外遺珠と思ひ出』を読んではじめて、へえ、かういふものがあつたのかと驚いたのである。
「蛙鳴く田端の里、市の塵森越しに避けて茶寮営み、間居のつれづれ洒落半分に思ひ立ちし庖丁いぢり、手まかせの向、汁椀、焼八寸、吸物と木の芽、花柚の口ばかりは懐石の姿はなせど、味は山吹の取立てて名物もなき土地柄ながら、濃茶薄茶の御所望次第、炉風呂の四季のその折折、花紅葉探勝のお道すがらあるは又山子規虫聞きなどの雅賞にも広間、囲ひの数を備へ、御窮屈ながら茶事を省き、酒飯は時のあり合せ、ただ風流のおくつろぎを第一とし、詩歌、俳諧乃至書画、声曲の仙集にもあてさせられ給はんこと、これ亭主の希望とするところなり。電車の便も都ちかきこの郊外にこの寮あるは、世忘れの仙境之に過ぎたるはなしと、茶音頭とりて亭主にかはり、古き口上振を敬つて白す
この寮のお目じるしには
江戸に見し辻行灯や子規」
といふのがその全文だが、いまみると、「蛙鳴く田端の里」という書出しからしておもしろい。いまでこそ田端といふところ、大東京のなかに包含されて、どこをみても家だらけのきはめてせせツこましいところになつてしまつたが、わたくしがおぼえでも、大正のはじめごろまで、そのあたり一めんの田圃だつたのである。うそもかくしもなく「蛙鳴く田端の里」だつたのである。「花紅葉探勝のお道すがら」とあるのは、いふまでもなく、花は飛鳥山の、紅葉は滝の川、さうした江戸以来の名所を手近にひかへたからであり、「山子規虫聞きなどの雅賞にも」とあるのは、すぐその上をあがつたところの道灌山が、矢つ張むかしから、画だの文章だのに、夏、秋の、さうした風流を試みるの好適地とされてゐたからによらう。生憎にして「詩歌、俳諧乃至書画」の附合をまだここでもつたことはないが、五六年まへ、一度、唄の封切をこゝできいて、うき世はなれた夜寒の感じの一入身にしみたことをわたくしはおぼえてゐる。……酌人が入用だと、このうち、かならず吉原からよぶのを以て仕来りとしてゐるとそのとき聞いたが、いまでもまださうだらうか?……目じるしの辻行灯はいまでもしづかに点つてゐる。……
なほ『鴎外遺珠と思ひ…