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夜店ばなし
よみせばなし
作品ID56469
著者久保田 万太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆72 夜」 作品社
1988(昭和63)年10月25日
初出「婦人公論」1931(昭和6)年7月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2014-02-14 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     *

 ……大風呂横町と源水横町との間の、不思議とその一つにだけ名のなかつた横町の角に荷を下ろした飴屋のちやんぎり。……そのちやんぎりの一トしきりの音の止んだとき、両側の、どこの屋根の上にも、看板のかげにも、勿論広い往来のどこの部分にも、そのときすでに日のいろは消えてゐた。そして両側の、茂り交した柳の木末に早くも、「夕暮」は下りた。……といふことは、蝙蝠がとんで、水のやうに澄んだ空に早くも星の瞬きが生れた。
 そのときである。すしやの屋台、天麩羅やの屋台、おでんやの屋台。……夜店へ出るそれ/″\の屋台が誓願寺の地中から一トしきりそこにつゞいた。……たとへば泊りへいそぐそれ/″\の船のやうに……
 が、そのくせ、どこにもまだ燈火のかげはさしてゐない。
 ――あさアり……からアさり……
 で、どこからともなく聞えて来る夕とゞろきのなかのその美音……
 ――大丈夫だ、この塩梅なら……
 ――もつよ、まだ、この天気は……
 屋台のぬしは、それ/″\の車を押しながら、をり/\さうしたことを言葉ずくなにいひ合つた。
 蝙蝠。……夕あかり。……星。……そして夜店……
 電車の行交ひもいまのやうに激しくなかつた。人通りも、また、いまのやうに目まぐるしくなかつた。そのまゝ白くその一日はしづんだ。……といふものが浅草の広小路。……二十年まへの、わたしの育つたころの浅草の広小路。……どこのうちでもまだ瓦斯をつけてゐたそのころのけしきの一部である。
 その懐しいおもひでの、さうした屋台のぬしのなかゝら、何間々口かの、大ぜいの奉公人をつかひ、いまを時めく公園界隈でのすしやに経上つたものもあれば、いまなほ屋台の、色の褪めたのれんの中に、一人さびしく、むかしながらの長い箸をもちつゞけてゐる天麩羅やもある。……わからないのは人の運の、星をやどした夕ぞらを仰ぐにつけ、浅草に蝙蝠がとばなくなつてもう何年になるだらう?……いつもわたしはさう思ふのである。

     *

 すしや、天麩羅や、おでんや、とむかしのそこのすさまじいけしきをそのまゝ、いまでも浅草の夜店は食物やで埋つてゐる。そしていまは、その鮨や、天麩羅や、おでんやの中に、支那蕎麦が入り、一品洋食が交り、やきとりが割込んでゐる。……といつたら、あるひは人は、やきとりはむかしからある、さういつてわたしをわらふかも知れない。が、以前のそれは、たとへば源水横町の金物屋の角に、目じるしの行燈をつけ、提燈屋だの炭屋だのをその環境にもちつゝ、ほそ/″\と、ぢいさんばアさんで七輪の火を熾してゐた底のしがない店の所産だつた。いまのそれは、支那蕎麦、一品洋食とゝもに、すし、天麩羅、おでんの屋台の古風に、飽くまで強情に、色の褪めた紺のれんをうち廻すに対し、このはうは、哀しくも滑稽な時代相を語るかに、天竺もめんの白い、うす汚れたカーテンを後生大事…

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