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日本名婦伝
にほんめいふでん |
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作品ID | 56497 |
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副題 | 太閤夫人 たいこうふじん |
著者 | 吉川 英治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「剣の四君子・日本名婦伝」 吉川英治文庫、講談社 1977(昭和52)年4月1日 |
初出 | 「主婦之友」昭和15年3月号 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2014-09-15 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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一
寧子は十六になった。
妹の於ややと二人して、伯父伯母にあたる浅野家に養われて来た。ふたり共、養女なのである。
世間は知らなかった。それほど、浅野又右衛門夫婦の愛は、世の親たちと変りなかった。
十六というと、寧子も人知れず、「女の先」を考え始めた。時代は早婚の風である。もう他から結婚のはなしがいろいろ持込まれるのであった。
その数々の縁談のくちで、親たちの眼に選り残されているのは、もちろん皆、尾張清洲の織田家中ではあるが、とりわけ、
藩の侍頭大学信盛の舎弟、佐久間左京
信長の小姓組、前田犬千代
槍組衆の河尻与兵衛
足軽三十人持、御小人組小頭木下藤吉郎
――などの四名が候補になっていた。各[#挿絵]に特長もあり理由もあって、
「急ぐこともないから、よう生涯を考えて――」と、寧子にも告げて、宿題の予日をのこし、親たちも先方へ、まだはっきり返辞をしない程度になっていた。
二
四人の候補のうちで、最も身分の高いのは、佐久間左京であった。兄大学信盛は、愛知郡山崎で、出城とはいえ、一ヵ城の城持ちであり、左京も織田家では、重要な地位を占め、主君のおおぼえもよかった。年齢は二十三歳とかいう。
「申し分はないが、何せい、こちらは弓之衆の長屋住い、身分がちがいすぎる」
と、又右衛門夫婦は、その点で迷っていた。
総じて、尾張半国の小藩にすぎない織田家は、君臣ともに、質素で財力も乏しかったが、わけて浅野又右衛門は、小禄な弓組の一家士でしかなかった。
年ごろの娘ふたりに、人なみの教養もさせ、人知れぬ「聟とり」の支度をしておくだに、なかなか容易ではない家計だった。
その点では、
家庭へもよく遊びに来て、気心もおけないし、先の人がらも素姓も知れている前田犬千代は、
「寧子も、嫌ではないらしい」
と考えられて、親たち自身の心もだいぶ傾いていた。
難をいえば、犬千代は感情につよく、同僚などとも刃傷沙汰を起して、殿の勘気をうけたりしたこともあった。素行も放縦のように思われる。また、美丈夫なので、寧子とのあいだに、恋愛でもあるかのようなうわさも撒かれた。年は二十四歳、寧子も望んでいるらしいし、ふさわしい聟とは思われるものの、まだ又右衛門夫婦の決心は、はっきりせずに在る。
では、河尻与兵衛はというに。
これなら剛健で、武勇は槍組の随一と聞えているし、戦国の士として、負け目は取らないが、ただ寧子とはあまり年がちがう。それに一度妻をもった人でもあるし、
「かわいそうではありませんか」
と、又右衛門よりは、妻のほうが、気のすすまない顔いろだった。
殆ど、問題にしていないのは、つい近頃、小者からやっと士分になったばかりの男で、まめに足を運んで来る木下藤吉郎という男だった。
「かなわぬよ、あの男につかまると」
又右衛門も、閉口している。こちらでは問題としなくても…