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               かたわもの  | 
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| 作品ID | 56501 | 
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| 著者 | 有島 武郎 Ⓦ | 
| 文字遣い | 新字新仮名 | 
| 底本 | 
              「一房の葡萄」 角川文庫、角川書店 1952(昭和27)年3月10日  | 
          
| 初出 | 「良婦之友 創刊號」春陽堂、1922(大正11)年1月1日 | 
| 入力者 | 呑天 | 
| 校正者 | きりんの手紙 | 
| 公開 / 更新 | 2020-03-04 / 2020-03-06 | 
| 長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) | 
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 昔トゥロンというフランスのある町に、二人のかたわ者がいました。一人はめくらで一人はちんばでした。この町はなかなか大きな町で、ずいぶんたくさんのかたわ者がいましたけれども、この二人のかたわ者だけは特別に人の目をひきました。なぜだというと、ほかのかたわ者は自分の不運をなげいてなんとかしてなおりたいなおりたいと思い、人に見られるのをはずかしがって、あまり人目に立つような所にはすがたを現わしませんでしたが、その二人のかたわ者だけは、ことさら人の集まるような所にはきっとでしゃばるので、かたわ者といえば、この二人だけがかたわ者であるように人々は思うのでした。
 いったいをいうと、トゥロンという町にはかたわ者といっては一人もいないはずなのです。その理由は、この町の守り本尊に聖マルティンというえらい聖者の木像があって、それに願をかけると、どんな病気でもかたわでもすぐなおってしまうからでした。ところが私の今お話しするさわぎが起こった年から五十年ほど前に、町のおもだった人々が、その聖者の尊像をないしょで町から持ち出して、五、六里もはなれた所にある高い山の中にかくまってしまったのです。なぜそんなことをしたかというと、ヨーロッパの北の方からおびただしい海賊がやって来て、フランスのどここことなくあばれまわり、手あたりしだいに金銀財宝をうばって行ってしまうので、もし聖者の尊像でもぬすまれるようなことがあったら、もったいないばかりか、町の名折れになるというので、だれも登ることのできないような険しい山のてっぺんにお移ししてしまったのです。
 それからというもの、このトゥロンの町もかたわ者ができるようになったのです。で、さっき私がお話しした二人のかたわ者、すなわち一人のめくらと一人のちんばとは、自分たちが不幸な人間だということを悲しんで、人間なみになりたいと遠くからでも聖者に願かけをしたらよさそうなものを、そうはしないで、自分がかたわ者に生まれついたのをいいことにして、人の情けで遊んで飯を食おうという心を起こしました。
 めくらの名まえをかりにジャンといい、ちんばの名まえをピエールといっておきましょう。このジャンとピエールとは初めの間は市場などに行って、あわれな声を出して自分のかたわを売りものにして一銭二銭の合力を願っていましたが、人々があわれがって親切をするのをいい事にしてだんだん増長しました。そしてめくらのジャンのほうは卜占者になり、ちんばのピエールのほうは巡礼になりました。
 ジャンは卜占者にふさわしいようなものものしい学者めいた服装をし、目明きには見えないものが見え、目明きには考えられないものが考えられるとふれて回って、聖マルティンのおるすをあずかる予言者だと自分からいいだしました。さらぬだに守り本尊が町にないので心細く思っていた人々は、始めのうちこそジャンの広言をばかにしていまし…