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青バスの女
あおバスのおんな
作品ID56514
著者辰野 九紫
文字遣い新字新仮名
底本 「探偵小説の風景 トラフィック・コレクション(上)」 光文社文庫、光文社
2009(平成21)年5月20日
初出「新青年」1929(昭和4)年1月
入力者sogo
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-07-16 / 2018-06-27
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 新聞雑誌製作者は常に言う。――無責任な読者の投書が多くて困ると。そして必ず附言する――英人は片言隻句にも、本名を記すことを忘れないと。ジョンブル気質礼讃である。然り、匿名での一言居士は、卑怯でもあり、罵詈雑言は慎しまなくてはならぬ。況んや、名誉に関する言議に、覆面の偽人は戒心を要する。さり乍ら、英人と雖も、ハイド公園の散策に、
「モシモシ、あなた、手巾が落ちましたよ。……私はジョージ・バーナード・ショウで御座います」と、名乗りを上げるであろうか。
 これが又、舞台をお江戸、湯島天神の境内に廻して、
「ええ、旦那扇子が落ちましたよ」
「ハイ、御親切に有難う御座います。シテ、あなた様のご尊名は……」
「ウム……言われて名乗るも烏滸がましいが、練塀小路に匿れのねえ、河内山宗俊たァ俺のことだッ」とでもやられて見ろ、仮令その扇子が親譲りの、両替商初代山城屋久兵衛遺愛の重宝にしたところで、相手が相手、下手な包み金でもしようものなら却ってどんな言いがかりの種にされないものでもない。なまじっか、律儀に、ご尊名などを聞かなければ、雲州侯も手玉に取った、御数寄屋坊主の宗俊が、蔭間茶屋通いの、上野東叡山の生臭か、そんなことに頓着なく、
「ハイ、有難う御座います」で、百文も失わずに済んだではないか。
 さて又、本所太平町のバラック長屋に住い、可憐なる孝行娘の納豆売りを、薄給の身でありながら、人知れず扶けて茲に六箇月という感ずべき青年巡査表彰の記事が新聞に出ると、これ亦薄給の小店員が、日本橋区KN生などと、夜学で覚えた羅馬字で、金一円也を孝行娘に届けて貰いたいと、天下御法度の現金輸送という奴で、紙幣のまま封込んだ添手紙が新聞社宛に托される。そうかと思えば、貧者の一灯、長者の万灯、太平洋横断飛行に、東京、無名氏より、金一万円寄附の記事が、同じ新聞に掲げられる。両者共に美事善行である。だが然し、住所姓名明記なきものとして、所謂没にはならないのである。
 そこで、僕惟うに、人身攻撃、悪口の斬捨御免でない限り不注意な誤謬を注意してやる程度のものならば、敢て堂々と本名を名乗るにも及ぶまいと、マイナスをプラスにする家常茶飯の注意を促すには、凡て無名を以てしている。例えば、府下大井町の呑み友達の家へ行く省線から降りての途中、床屋の新店が出来てたとする。然り、床屋――理髪店とか、調髪師と称するには、余りに狭い間口であり、余りに二十箇月月賦販売丸丸商会仕入れの椅子である。その新看板に、よせばよいのに、何の足しにもならないが、不思議に何店でもやっている通り、羅馬綴りでSAKACHITAと、店名が入れてある。さはさり乍ら、この店主、姓をサカチタとは申さで、坂下であるのを看過出来ないのが、僕の性分である。といって、のこのこその店へ入り込んで、天下の重大事である如く、誤記を指摘訂正してやる勇気をも有たぬ性分…

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