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解説 趣味を通じての先生
かいせつ しゅみをつうじてのせんせい
作品ID56521
著者額田 六福
文字遣い新字新仮名
底本 「綺堂随筆 江戸の思い出」 河出文庫、河出書房新社
2002(平成14)年10月20日
初出「舞台 岡本綺堂追悼号」1939(昭和14)年5月
入力者江村秀之
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-10-02 / 2019-09-27
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 松の樹が嫌いだった。
「君、あれは放蕩息子だよ。」
 冗談によくそんな事を云われた。誰もが知っている通り、春夏秋冬と、松の木位手入れに手数のかかる木は尠い。自然物入もかさむ。全くやっかい至極な放蕩息子だ。
 が、しかし、先生が松を愛されなかったのはそう云う手数がかかるとか、物入が嵩むとか云う理由ではなかった。手入は植木屋にやらせればいいのだし、費用だって先生の懐を脅かすほどの事はないし、又必要なら何百金でも平気で投出される人だったのだ。それについて詳しい説明をきいた事はなかったが、あのゴツゴツした、骨ばった木ぶりが嫌いであったらしい。とにかく庭にも盆栽にも松は一本もなかった。
 お花見と云う行事は大すきだった。しかし、同じ様な理由で桜の木も木としては好きでなかった。私が麹町にいた時代、よく散歩のお供をして英国大使館前をぶらついたが、あの桜並木を見て、
「もう少し木肌が滑かだといいんだがなあ。」
 と云われたのを思い出す。
 同じ様な意味で梅もそう好きではなかったらしい。けれど、初春の縁起物として盆梅は(殊に紅梅)賞玩された。しかし、花時がすむと、きまって庭の片隅にほうり出されて、大部分はそのままに枯れて仕舞い、残った物も、翌年にはもう花をつける事が出来なかった。方々から贈物があって、時には相当高価らしい盆梅もあるので、慾ばり屋の私は、
「もう少し手入をなすったら。」
 とよく云ったものだ。と、先生は、
「だって君、我々が枯らして仕舞うから植木屋が立ってゆくんだぜ。」
 先生はそう云う人だった。由来、盆梅の仕立ての事は云わない事にした。

     *

 ゴツゴツした松の木肌の感触を嫌われた先生は、自然の反対現象として、柳、楓、百日紅なぞの肌のなめらかな木が好きであった。目黒の遺邸の庭には、空を覆う百日紅がある。そしてあの花の色も好きだった様である。青山の墓所には、出来ればこの木を植えさせて貰いたいと思う。
 同じ意味で、猫柳もすきだった。随筆集の題名にもなっている。これは、後に説く俳諧趣味から出発していると思う。

     *

 草花は早春のクロッカス、ヒヤシンス等から、秋の終りまで、どこの家にもある様な和洋の花が植えられて、交る交るに咲いていたが、その中で一番巾をきかしていたのは、千日紅、葉鶏頭等の、純粋な、そして野生に近い日本草花だった。花はないが、薄も好きで、例の百日紅の下に傲然とはびこっている。真夏には糸瓜棚が出来て、その下で、実が長くなるのをよろこんでいられた。烏瓜もすきだったが、地味に合わぬとみえて目黒の山にはなく、私の処から数回球根を運んだが、遂に実がならずにしまった。
 それ等の庭の花や、又到来の花なぞ、すべて自分で活けられた。別に何流を習われたと云う事もきかなかったが、自然の風格があった。

     *

 生き物は概して好きでな…

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