えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

田楽豆腐
でんがくとうふ
作品ID56527
著者森 鴎外
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆7 七月の花」 作品社
1999(平成11)年6月10日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-07-09 / 2023-06-29
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

「あなた植物園へ入らつしやつて」と、台所から細君が声を掛けた。
「さうさなあ、往かうかと思つてゐるのだが」と、木村は新聞の間に畳み込んである附録を引き出して拡げながら云つた。
「入らつしやるのなら、涼しい内に入らつしやいよ。今何をして入らつしやるの。」此話声に交つて、洗つた皿を籠の中に伏せる音がする。
「今かい。蛙を呑んでゐる最中だ。」
 台所で細君が短い笑声を洩らした。そして「けふも何かあつて」と、余り熱心らしくもなく云つた。
 蛙を呑むと云ふのはエミイル・ゾラの詞で、木村の説明を聞いてゐる細君にはその意味が分かる。ゾラはかう云つた。作者になつてゐると、毎朝新聞で悪口を言はれなくては済まない。それをぐつと呑み込むのだ。生きた蛙を丸呑にする積りで呑み込むのだと云つた。木村も毎日新聞で悪口を言はれてゐる。一時多く翻訳をしたので、翻訳家と云ふ肩書を附けられた。その反面には創作の出来ない人と云ふ意味が、隠すやうに顕すやうに、ちら附かせてあつたり、又は露骨に言つてあつたりした。それから創作を大分出すやうになつてからは、自己を告白しない、寧ろ告白すべき自己を有してゐないと云ふので、遊びの文芸だとせられた。中には細部に亙つた評もある。哲学宗教の対話を書くと、エクサイトメントのない作だと云はれる。写実的に犯罪を書くと、探偵小説だと云はれる。要するにどれも価値がないと云ふのである。只翻訳丈は好いとして助けてあつた。ところがつひ此間勇猛な批評家が出て、木村の翻訳は誤訳だらけだと喝破した。そいつが大受であつた。木村を弁護する人でも、誤訳でないまでも拙訳だと云つた。これでいよいよ木村の書くものには何一つ価値のあるものは無いと云ふことになつた。そこで今は木村に新しい肩書が出来てゐる。それは「誤訳者」と云ふのである。此夏からの新聞にはいろんな名前の批評家が入り替り立ち替り、誤訳者木村を冷かしてゐる。翻訳とはなんの関係もない事を書く時でも、「誤訳問題は別として」とか、「語学の力の有無は知らぬが」とか、一一ことわつてある。
「けふも何かあつて」と細君に問はれて、こん度は木村が短い笑声を洩らした。「大ありだよ。文芸協会では上手の脚本を上手の役者がする。土曜劇場では下手の脚本を下手の役者がする。只役者が下手丈に、けれんのないのが取柄だと云つてあるよ。」
 細君は水道の水をしやあと云はせながら、「旨い事を言つたものだわね」と云つた。細君は木村が高慢な事ばかし言ふのを憎んで、いつも笑談交りに蛙に賛成してゐるのである。
 実際木村の高慢は、笑談が交つてゐるにしても、随分劇しい。例の誤訳退治の時、細君が「あなた本当に間違つてゐるのでないなら、なんとか云つてお遣なさいな」と云ふと、木村は、「ところがなんとも云はないね」と云つた。「では間違つてゐたの」と云ふと、「間違なもんか、間違へたつて、蛙の見附ける…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko