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風雲児、坂本竜馬
ふううんじ、さかもとりょうま
作品ID56530
著者菊池 寛
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第二一巻 四国 のどかなり段々畑の石地蔵」 作品社
1989(平成元)年2月10日
入力者浦山敦子
校正者友理
公開 / 更新2024-03-06 / 2024-03-02
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 現存する坂本龍馬の写真を見ると、蓬頭垢衣、如何にも風采あがらぬ浪士と云つた格好である。浜本浩に少し苦味を加へたやうな顔だ。
 その近親の談話によると、龍馬が常用してゐた黒羽二重の紋服は、いつも膝の下一寸ばかりのところが、ピカ/\油染みて光つてゐたと云ふ。
 鼻をこすつて、何かと云ふと得意がる癖があつたと云ふ。一日五度も六度もこれをやつた。
 酒は大酒とは云へず寧ろ喰意地の方がきたなかつた。クチヤ/\と口に唾をため、よく乾昆布などを噛んでゐた。
 誰が見ても粗野だつたその風[#挿絵]の中に、若し天才的なものを求めるなら、それはあの眼だらう。少し脹れぼつたいから、恐らく近眼だつたらう。
 併し、遠く望み、深く思ふが如き一抹憂愁の気は常人のそれではない。
 世に龍馬を語る者は、必ず彼を目して、土佐勤皇党の彗星と云ふ。神出鬼没、凡そ端睨すべからざる彼の行動は、大衆文学のヒーローとしては申し分がない。誰でも、その姿に喝采し、歓呼の声を挙げるに違ひない。
 龍馬は天保六年十一月に、高知本町一丁目に生れた。それは郷士の家であつた。彼の先祖は長曽我部氏に仕へたのである。
 郷士は、どの地方でも、武士の下つ端であつたが、土佐藩では特にこの差別待遇が甚しかつた。
 即ち藩主山内氏は遠州掛川から転封されたので、土着の長曽我部系統の武士が、圧迫されたのは当然である。
 維新の政変とは、ある意味で云へば、上級武士に対する下級武士の挑戦である。
 下級武士が現状打破を叫ぶ余り、その論調が討幕論に走り、上級武士は現状維持の建前から、佐幕論となり、公武合体論を唱へたのは、各藩を通じての大体の情勢であつた。
 土佐でも、その例に洩れず、勤皇論は、その軽輩武士の間に起つた。
 その代表者が、武市半平太(瑞山)と坂本龍馬である。
 武市は資性沈毅、たゞその腮が突き出てゐたので、綽名を「腮」と云はれ。
 龍馬は江戸から国へ帰つて来ると、先づ、
「腮は相変らず窮屈なことを言ふてゐるか」
 と云へば、半平太も負けずに、
「痣が帰国した相だが、又、必ず大法螺を吹いてゐることだらう」
 と傍の者に言つた。
 悪口は云ひ合つてゐたが、お互ひに頼母しく思つてゐたのである。
 痣とは龍馬の背中にある痣で、矢張り綽名になつてゐた。龍馬はこの痣を小供の様に耻ぢてゐて、いつもメレヤスのシヤツを着て、嘗て人前で肌を見せたことがなかつた。
 とにかく、この応酬は二人の性格をよく現してゐた。同時に窮屈と大法螺は、土佐人の特徴である。前者の系統を引く者に、板垣退助伯があり、大法螺の無軌道型に、後藤象二郎伯がある。
 龍馬が専ら修めたのは、剣術と航海術だつたが、文学の方でも相当のものだつた。文字も金釘流だが、一種の風格を備へてゐた。
 カンのよかつたことは、一寸類がない。
 或る時、蘭学者某の和蘭政体論を聴講中、龍馬は突然起…

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