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告げ人
つげびと |
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作品ID | 56539 |
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著者 | 伊藤 左千夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「野菊の墓」 ジュニア版日本文学名作選、偕成社 1964(昭和39)年10月 |
初出 | 「ホトヽギス 第十二卷第三號」1908(明治41)年12月1日 |
入力者 | 高瀬竜一 |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2016-08-18 / 2016-07-11 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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雨が落ちたり日影がもれたり、降るとも降らぬとも定めのつかぬ、晩秋の空もようである。いつのまにか風は、ばったりなげて、人も気づかぬさまに、小雨は足のろく降りだした。
もうかれこれ四時過ぎ五時にもなるか、しずかにおだやかな忌森忌森のおちこち、遠くの人声、ものの音、世をへだてたるものの響きにもにて、かすかにもやの底に聞こえる。近くあからさまな男女の話し声や子どもの泣き騒ぐ声、のこぎりの音まき割る音など、すべてがいかにもまた、まのろくおぼろかな色をおんで聞こえる。
ゆったりとおちついたうちにも、村内戸々のけはいは、おのがじしものせわしきありさまに見える。あす二十二日がこの村の鎮守祭礼の日で、今夕はその宵祭りであるからであろう。
源四郎の家では、屋敷の掃除もあらかたかたづいたらしい。長屋門のまえにある、せんだんの木に二、三羽のシギが実を食いこぼしつつ、しきりにキイキイと鳴く。その声はもの考えする人の神経をなやましそうな声であった。ほうきめのついてる根元の砂地に、やや黄ばんだせんだんの実が散り乱してある。どういうものかこの光景は見る人にあわれな思いをおこさせた。
源四郎はなお屋敷のすみずみの木立ちのなか垣根のもとから、朽ち葉やほこりのたぐいをはきだしては、物置きのまえなる栗の木のもとでそれを燃やしている。雨になったのでいっそうせいてやってるようすである。もとより湿けのある朽ち葉に、小雨ながら降ってるのだから、火足はすこしも立たない。ただプツプツとけむるばかり、煙は茅屋のまわりにただようている。源四郎はそれにもかかわらず、どしどしといやがうえにごみをのせかける。火はときどき思いだしたように、パチパチと燃えてはすぐ消えてしまう。朽ち葉のくさみを持った煙はいよいよ立ち迷うのである。源四郎は二十二、三の色黒い丸顔な男だ。豆しぼりの手ぬぐいをほおかむりにして、歌もうたわずただ黙もく掃除している。
源四郎のしゅうとごは六十以上と見える。背高く顔の長いやさしそうな老人だ。いま奥の間の、一枚開いた障子のこかげに、机の上にそろばんをおいて、帳面を見ながら、パチパチと玉をはじいてる。お台屋のかたでは、源四郎の細君お政とまま母と若いやとい女との三人が、なにかまじめに話をしながら、まま母ははすの皮をはぎ、お政と女はつと豆腐をこしらえてる。むろんあしたのごちそうを作ってるのである。
シギもいつしかせんだんを去って、庭先の栗の木、柿の木に音のするほど雨も降りだした。にわかにうす暗くなって、日も暮れそうである。めがねをはずして机を立った老人は、
「源四郎……源四郎……雨がひどくなったじゃねいか、もうやめにしたらどうだい」
「ハッ」
「源四郎や」
「ハッ」
源四郎は、ただハッハッと返事をしながら、なおせっせと掃除をやってる。老人は表座敷のいろりばたに正座して、たばこをくゆらしながら門の…