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木曾御岳の話
きそおんたけのはなし
作品ID56544
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「日本山岳会会報」1933(昭和8)年12月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-02-01 / 2015-01-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今日は懐古の夕だそうですから思いきり古い話をすることにしますが、私の古い山旅はただぶらぶら歩いていたのみで日記さえもつけない、ですから忘れてしまった方が多いのは残念ですが、しかし何といっても、見て面白いし、登って面白いし、読んで面白く、聞いても考えても亦おもしろい山のことですから、随分古い思い出はあります。そのうちで一番よく頭に残っているのは、初めて木曾の御岳へ登った時のことです。その話はいつか前にもしたことがあったかと思いますけれども、また一つ今夜お話して見たいと思います。
 なにしろその頃は中央線の汽車がまだ八王子までしか通じていないし、碓氷トンネルがやっと出来て汽車が通じて間もない明治二十六年、丁度私が二十でございました。何故御岳へ行ったかといいますと、その頃私の家は御岳講に入っていましたからその講中の者が参詣するというのでそれについて行ったわけです。しかし講中と同じ行をすることは御免を蒙りました。あれは毎日水ばかり浴びているのですから、もっとも夏のことですから別に苦にもならないでしょう。朝起きると水を浴びる。夕方宿に着くと早速また水を浴びる。それがこの講のお勤めなのです。その連中と一緒に碓氷峠を越えて岩村田から長久保へ出て行ったのですが、その辺はあまり記憶に残っていません。ただ和田峠の頂上で客をのせる馬が多いのと、馬子が賃銭を受取るとすぐ側の林の中で賭博をやるのには驚きました。その時あの餅屋の餅を食ったが、どんな味だったかすっかり忘れてしまいました。
 それから下諏訪の亀屋へ泊ったとき、入口の土間の揚げ板をあげてさあ足をお洗い下さいという、勿論草鞋ばきです、見ると湯がどんどん流れている。なるほどこれは重宝だなと思った。足を洗うとすぐそばに湯殿があってそれに飛び込む、そして水行を済してからゆっくり晩飯という段取は、講中には誂向きに出来ているがお相伴の私には、千松ほどでなくとも可なりつらい辛抱でありました。
 翌日は塩尻峠を越して洗馬に出てそれから木曾街道を下りました。途中なんでも奈良井の日野屋だったと思う、そこに泊った時、この家は白味噌の味噌汁が自慢なので、朱塗りの大椀に盛って出す、何杯お代りしてもいい。いいどころじゃない。椀がからになるとすぐお代りを持って来る。これには随分閉口しましたが、中には勇敢な奴があって十二杯ぐらい平げた。今はあるかどうか知りません。外にも御岳講の講中が幾組も泊っているので、給仕の女達がもう沢山だという客の手からお椀をひったくる、もういらない、もっとおあがりなどと飯時には大騒ぎでした。
 それから鳥居峠を越えて藪原へ下ってそこへ泊ったのです。夜になると小娘が花漬を売りに来る。丸、四角、扇形などさまざまの形をしたちいさい曲げ物に、紅、淡紅、白と、主に梅、桃、李などの花や蕾を巧に按配して入れたもので、木曾の宿では大抵売りに来まし…

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