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紙魚こぼれ
しみこぼれ
作品ID56547
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「日本山岳会会報」1933(昭和8)年10月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-02-04 / 2019-12-12
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

大田蜀山人の『半日閑話』の中に「信州浅間岳下奇談」と題して次の記事が出ている。

 九月(文化十二年)頃承りしに、夏頃信州浅間ヶ岳辺にて郷家の百姓井戸を掘りしに、二丈余も深く掘けれども水不出、さん瓦を二三枚掘出しけるゆへ、かゝる深き処に瓦あるべき様なしとて又々掘ければ、屋根を掘当けるゆへ其屋根を崩し見れば、奥居間暗く物の目不知、去れ共洞穴の如く内に人間のやうなる者居る様子ゆへ、松明を以て段々見れば、年の頃五六十の人三人有之、依之此者に一々問ひければ彼者申やうは、夫より幾年か知らざれども、先年浅間焼の節土蔵に住居なし、六人一同に山崩れ出る事不出来、依之四人は種々に横へ穴を明などしけれども、中々不及して遂に没す。私二人は蔵に積置し米三千俵酒三千樽を飲ほし、其上にて天命をまたんと欲せしに、今日各々へ面会すること生涯の大慶なりと云けるゆへ、段々数へ見れば三十三年に当るゆへ、其節の者を呼合ければ、是は久し振り哉、何屋の誰が蘇生しけるとか、直に代官所へ訴へ、上へ上んと言けれども、数年地の内にて暮しける故、直に上へあがらば、風に中り死ん事をいとひ、段々に天を見そろり/\と上らんと言けるゆへ、先穴を大きく致し日の照る如くに致し、食物を当かへ置し由、専らの沙汰なり。
 此二人先年は余程の豪家にてありしとなり、其咄し承りしゆへ御代官を聞合せけれ共不知、私領なとにや又は巷説哉も不知。

 天明の頃浅間山麓にそれ程の分限者があったとも想われないし、生米を齧り酒を飲んで三十三年も地中に生きていたとも考えられないが、また人の一人や二人が呼吸する程の熔岩の隙間がなかったともいえないので、嘘のようでもあり真実のようでもあって甚だ面白い。然し事実は恐らく人家に掘当てた話などに花が咲き実が生って大袈裟に伝えられたものであろうか。次は『曳尾庵随筆』の一文で寛政十二年頃のことである。

 日光山中の僧の修験に成たる人の話に、先年日光中禅寺の湖船禅定とて、船にて湖の所所拝礼いたし候処、其船くつかへりて乗合の人数不残湖中へ溺死、其死骸一人もみへ不申候由。又或人中禅寺の山へ女人来候ゆへ捕へ吟味いたし候処、越後より山越に欠落いたし候、山路に迷ひ此所へ来り候由申。元来中禅寺は女人禁制の場所といへ共みちなき処を来りし故、無是非彼女の頭に草履をゆひ付、四つはひに這はせ山を追下し候よし、女には銭一貫文与へ追払ひけるとなり。

 中禅寺湖の水は比重の関係か何かで死体が浮かないので有名であるが、水の性質は其頃も今も変りがないと見える。女は越後からどう山越しをして来たか、欠落者のやかましかった当時、随分苦しい山旅を続けたことであったろう。頭に草履をゆい付け、四つ這いに匍わせて山を追下したのは頗る滑稽であるが、これは禁制の山へ上ったのは人間ではないのだという意味からであろう。

 下野屋十右衛門を祗闌といふ、大山参の納太…

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