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南北アルプス通説
なんぼくアルプスつうせつ
作品ID56552
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「日本アルプス」1930(昭和5)年6月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-06-26 / 2015-03-08
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

日本アルプスの名称

 日本本島中部の大山脈である赤石山系、木曾山脈及び飛騨山脈は、今日普通に日本アルプスの名で呼ばれている。この名は明治の初年に主として飛騨山脈に足を踏み入れた外国人によって創唱されたものであることは疑いないが、その何人であるかは明らかでなかった。当時飛騨山脈の一部に足跡を印した外人には、ガウランド氏あり、サトウ氏あり、チャムバレーン氏あり、アトキンスン氏あり、その他なお三、四の人がある。中にもガウランド氏は明治十年前後に、飛騨山脈の立山、爺岳、五六岳、槍ヶ岳及び乗鞍岳や御岳等に登り、明治十三年十二月にアジヤ協会で「日本に於る氷河時代の遺跡」と題する講演を試みたミルン氏に、殆んどその講演の資料全部を供給した人である。予は曾て『日本アルプス』の著者小島君より、『ジャパニーズ・アルプス』の著者ウェストン氏が同君に、日本アルプスの命名者は実にこのガウランド氏なりと語られたということを聞いた。
 日本アルプスの命名者は何人であるにせよ、それが漸く日本人の間で口にし筆にされるようになったのは、明治二十九年にウェストン氏の著『ジャパニーズ・アルプス』が出版されてから十年近くも経過した明治三十八年の頃からであって、それも最初は飛騨山脈のみに限られていた観があった。これは恐らく飛騨山脈の雪に飾られた高峻雄大なる山容を松本平から間近く仰望し得る為に、その存在が多くの人に早くから認められ、それで日本アルプスといえば飛騨山脈を意味するもののように思わしむるに至ったものであろう。然るに一般には勿論、学者の間にも日本アルプスの名を飛騨山脈に限ることに不同意の説が唱えられて、大勢の趨くところ赤石山系や木曾山脈をも日本アルプスの中に含ましむるに至ったのであるが、これは早晩しかあるべき筈のものが、その通りになったに過ぎない当然なことである。アルプスなる文字を使用することが極度に流行している今日から見れば、かような説があったということさえ、寧ろ不思議に思われるほどであろう。

日本アルプスの特色

 かくの如く日本アルプスは赤石山系、木曾山脈及び飛騨山脈の総称であるが、これ等の山脈はほぼ斜に相並行して三〇〇〇米を上下する大連嶺を成し、風雨の鑿、氷雪の鉋に刻まれ削られて、他の多くの山脈とは違った、著しい特色を有している。標高の大なることがその一であり、夏なお多量の残雪を存することがその二であり、過去の氷河の遺跡であるといわれているカールの存在することがその四であり、山頂附近は大小の岩塊狼藉して、時に矮小なる木本或は草本等より成るお花畑を作り、または地衣類を産するのみなることがその五である。これらは日本アルプスに共通した特色を概括的に挙げたもので、謂わゆる高山性の地貌と称せられるものである。そして同じく日本アルプスであっても、木曾山脈は暫く措き、赤石山系と飛騨山脈とは、地質構造…

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