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山の魅力
やまのみりょく |
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作品ID | 56556 |
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著者 | 木暮 理太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社 1999(平成11)年7月15日 |
初出 | 「蝋人形」1934(昭和9)年7月 |
入力者 | 栗原晶子 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2015-08-11 / 2015-05-24 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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一
夏の登山が今日のように盛になったのは、色々の原因があるにしても、山が何かしらん人の心をしっかりと捉えずには置かない、強い魅力を持っている為である。人真似であろうが流行かぶれであろうが、登山の動機は何であっても、二度三度と行く中には、真実に山が好きになって、機会さえあれば如何しても登らないではいられないようになる。平地では夢想だもしなかった、登山者の前にのみ次から次へと展開する新しい驚異は、知らず知らずの間に山にあこがれ、山に徹底し、これと融合して無我の境地に到達しなければ止まない衝動を与える。この境地は登山に於て所謂詩人の霊感にも比す可きものであろう。されば山の魅力は驚異であり、驚異の感情は登山者が山に執着を感ずる心の目覚めである。つまるところこれは、如何に多くの人が原始のままの自然の姿に対して、無意識の中に深い憧れを感じつつあるかを語るものに外ならない。そして自然が最もよく原始のままに保存されているのは、陸上に於ける島ともいう可き山である。山が高ければ高い程、深ければ深い程、一層よい。
勿論山に登るのは、それがいくら容易な山であるというても、平地を歩くより骨の折れることは言う迄もないことで、幾多の困難があり、時としては多少の危険がある。この困難を排し、この危険を冒して、或時は恐怖の念と戦い之を克服しつつ、或時は驚異におどり立つ心に胸の高鳴りを感じつつ、自ら努力して撓まざる登高の歩みを続けなければならない、溌溂たる精神の向上と肉体の健闘とを強いられることも、登山の快味を高調する点に於て、亦山の持つ魅力の一に加えることを許さる可きであろうと思う。特別の場合はあるにしても、登山の最大の愉快は、首尾よく目的の登攀を完了して、山稜にもあれ山頂にもあれ、其処から四周の眺望を恣にする時にあるが、それはこの努力に対して山が与えてくれる貴い報酬である。
二
山は暑さ寒さの変化が激しい。日中でも陽がかげると急に寒くなる。まして夕方から朝にかけては、夏でも三月頃の気候に等しいので、薄霜の結ぶことさえある。殊に風雨氷雪の荒れ狂うに任せている高山の上では、木でも草でも平地のようにのんびりとは育たないで、皆曲りくねってひねこびているが、はち切れる程に力が溢れている。一目見た丈で平地とは全く異なった別世界に来たことが分る。それに平地では勿論低い山では到底見ることの出来ない幾多の特色がある。其中に二、三を言えば、残雪や岩石に綾なされた美しい草原を飾る艶麗なお花畑、過去の氷河の遺跡であるといわれている半円形の窪地(カール即ち圏谷)をぎっしりと埋めている万年雪の輝き、雲の海の壮観、御来迎の奇現象などは、まず高山に限られた特色の著しいものである。
三
お花畑というのは、各種の高山植物の花が紅白黄紫入り乱れて咲いていることも絶無とはいえないが、概して一群の中で、或種の花が多…