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マル及ムレについて
マルおよびムレについて
作品ID56557
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「霧の旅」1937(昭和12)年3月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-08-23 / 2016-05-22
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

本稿は昭和十一年十一月十五日霧の旅会で催した集会の席上に於て述べたもので、謂わば私の物ずきな地名穿鑿の際にふと思い付いた考に過ぎないのであるが、山名や地名などを考証する場合、時としてはこうした方面も考慮に入れて然る可きではあるまいかと思うので、本誌に掲載して読者の一粲を博することにした、何かの御参考ともなれば幸である。

『甲斐国志』の提要の部を見ると、郡名の条に

都留郡(和名抄云二豆留一。残簡風土記云或連葛。云々。)連葛トハ富士ノ山足北ヘ長ク延テ綿連如二蔓葛一然リ、方言ニ山の尾づる尾さきト云、後人代ルニ以二鶴字一為二嘉名一(本郡ニ有二桂川一。方言桂葛ノ訓相混ジ遂ニ転二文字一他ニモ此例多シ。)

とある。この「残簡風土記」というのは、和銅六年の制によりて編纂された「古風土記」の残簡ではなく、「日本総国風土記」なるものの残簡であると称せられるもので、全く後人の仮託に成り、多く信を措き難いものであることは、識者の既に論証しているところであるが、『甲斐国志』の編者は、この蔓葛を長く北へ延びた富士の山脚を指して云うたものと解釈して、これを都留なる郡名の起りであるとし、後になって嘉名の鶴の字が代用されたことは、恰も桂川の桂の字が蔓に縁のある葛であったのに、同訓相混じてこれも嘉名の桂の字が転用されるに至ったのと同様であるというのである。
 然し甲斐の国に残されたる「古風土記」の唯一の逸文(後に出す)に拠れば、明に鶴郡となっているのであるから、後人が嘉名の鶴の字に代えたのではなく、和銅以前から既に鶴の字が用いられていたのである、それが「風土記」を編纂する際に

畿内七道諸国郡郷名着二好字一。

又は

凡諸国部内(式の民部をいう)郡里等名並用二二字一、必取二嘉名一。

とある令に従って二字を用いる必要上、都留を好字として之を採用することになったのであろう。さすれば「古風土記」の編纂者は、当然都留の二字を用いなければならない筈であるのに、依然として鶴郡とあるのは、恐らく朝命によるものであるとはいえ、「風土記」は性質上後世の書上げに似たものであるから、従来の慣習のままに鶴の字を使用したものらしい。それで詠歌の場合などには、後世迄常に鶴の意に用いられていたので、嘉名の鶴の字が蔓葛に代用されたもののように『甲斐国志』の編者は信じたものと想われる。其等の歌は『夫木集』や『甲斐国志』に載っている。其中の一首で『夫木集』にある権大納言長家の

   中宮御歌合翫レ菊といふことを
雲の上にきくほり植てかひのくに
        つるのこほりを移してそみる

という歌には

此歌註云、風土記に甲斐国鶴郡有二菊花山一、流水洗レ菊、飲二其水一人寿如レ鶴云々。

とあって、これこそまさしく鶴郡の由来を説明したらしい「古風土記」の逸文であるから、鶴の字が古くから用いられていたことが察知されるので…

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